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祭太郎

PEOPLEText: Satsuki Miyanishi

口上パフォーマンスを始めたきっかけ、バックグラウンドについて教えて下さい。

1998年からパフォーマンスを初めてから、私は内向的な表現から外向的な表現に自分を変えたいという気持ちが常にありました。観客の前で受け身をとる反応の多くは、悲鳴を上げたり、顔を歪めたり、なぜ?という反応があったり、バカバカしい行為に受け取れるため笑いが起こったりします。私は笑いや笑顔が起きる反応について考えてみました。私の直感ですが、受け身に対するイメージはネガティブなものとして考えることが多いと思います。それに対して、笑いや喜びといったポジティブなイメージを同時に創出しなければ、自分自身の表現に折り合いがつかないのではないか?と疑問が湧いてきました。しかし、そのような考えは浮かんでは消え、浮かんでは消えるといった状況が何年も続きましたので、論理的な思考まで至ることはありませんでした。

ある時、苦しまぎれに観客に発した言葉を観客が思いもよらない言葉で返すという事が起きました。その場には今までとは違う、日常と非日常の境界のような、場の空間や時間になったことを記憶しています。日常では恥ずかしいような言葉でも祭太郎では意外と言えてしまうという事を、その時に発見しました。今までは当たり前のように発していた(声、言葉)が自分の表現にとって重要ではないか?と考える様になったことがきっかけです。

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2002年に祭太郎さんが誕生したと伺いました。そのころからパフォーマンスのスタイルやスタンスが変わらないように見えるのですが、常にぶれない軸を持っていられる理由は何ですか?

1999年〜2001年に邦楽の音楽フェスティバル、ライジング・サン・ロック・フェスティバル in EZOを体験しました。生きる事=生活する事=表現する事がうまく結びついている素晴らしいフェスティバルです。それは本当に素晴らしい体験でした。素晴らしい体験と自分の表現を比較してみると、到底かなわないと思いましたが、いつか必ず、素晴らしい体験を自らの表現で実現してみたいという、二つの感情が同時に芽生えました。その事が実現するまで、きっと祭太郎は続けていくので、ぶれる事はないと思っていますが、いつもいろいろな疑問で悩んでます。身体のことや人の生き方を学びたくて鍼灸師になったり、合気術を学んだり、絵をかいてみたり、とにかく飽き症なのでいろいろな事に興味を持ちたいと思いながら、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしているのが現状です。

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他のアーティスト作品やその他影響を受けているものはありますか?

具体的な作品ですと1997年にヴェネツィア・ビエンナーレで見たピピロッティリストの映像作品「Ever is Over All」やドイツで見たポールマッカーシー展、2003年、京都ビエンナーレで見た高嶺格さんの「在日の恋人」、札幌のライブハウスで見た松蔭浩之さん、宇治野宗輝さんのロックユニット「ゴージャラス」のライブに衝撃を受けました。やなぎみわさんの作品制作に関わる機会があり、アメリカロケをはじめ、いろいろな現場を肌で感じプロの仕事というものを垣間見ました。岡部昌生さんは何度か作品の搬入のお手伝いをさせて頂きました。私が生まれた1977年からフロッタージュの作品を制作していると伺い驚愕し、手を使うという重要性、意味などを考えさせられました。他には、ジャイアント馬場さん、手塚治虫さん、尾崎豊さん、Björk 、端聡さん、門馬よ宇子さん、増子直純(怒髪天)さん、武田英祐一(the武田組)さん、竹原ピストルさん、円空上人、行基上人エトセトラエトセトラ他にも沢山の方の影響を受けまくっています。

10年後の祭さんはどのようになっていると思いますか?

世界各地の大地と勝負に挑んでいると思います。

祭太郎個展「まつりのつぼ」
会期:2013年2月22日(金)~3月15日(金)(祭BAR 3月2日、3月15日)
時間:13:00~23:00(日曜祝日休廊)
会場:CAI02
住所:札幌市中央区大通西5丁目昭和ビルB2
主催:CAI現代芸術研究所
TEL:011-802-6438
https://www.cai-net.jp

Text: Satsuki Miyanishi

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