スタジオ・アッズーロ
スタジオ・アッズーロの作品に向かった時の一般的な反応は予測不可能だ。それは彼等のパフォーマンスに対する熱狂的な反響、あるいは巻き込まれたいという熱い欲望をかくそうとする内気さかもしれない。叫んだり、手を叩いたりとアクティブに参加することもできるし、静かに傍観するという事も考えられる。
Scenes and actions from the installation Landing talk
『私達は、自分達の本当に個人的なプロジェクト、つまり意志が集まってできた大きな残像でこの新しいアリーナに入ったのです。特定の物を追うのを避けようとする中で、私達の意識は最近の先端テクノロジーに向かっていったのかもしれません。特にサウンドやイメージといった一般との対話を生み出して呼応するインタラクティブなものを扱う時には、2つのはっきりとしたゴールを心掛けています。一つは、収集目的のスペースを作ること、もう一つは自然なインターフェイスを使うこと。この2つがもっと沢山のプランと知覚的に高いレベルを論じる新しい形のナレーション表現の基礎知識を与えてくれるだろうと期待しているのです。最近は、外に出て人と話すことをあまりしないため、最近のニューテクノロジーの分野でのリンクが弱くなってしまいました。だから結果的に個々のオファーをうまく扱えず悪化させてしまう傾向にあります。そのため、私達は参加者数名によるチョイスを行い、話の筋を共同で決め、それぞれ個人における関係が人と機械の関係より深い意味を持つ場を作ることにしました。これが「敏感な環境」と私達が名付けたもののバックにあるものです。それから、ハイテクな設備を持つのが当たり前の現在の状況をできるだけ小さくとらえて「天然のインターフェイス」を推奨し、マウスとキーボードといった要素を除去し、触れる、足踏みする、音を出すといった比較的一般的で象徴的な置き換えに頼らないコミュニケーションの可能性を探ろうとしています。これは体験を通して人と人とを近づけ、観客と彼等を取り巻く出来事に対する自然で知覚的な反応との間にコミュニケーションを挟み込む隙間を作るという事ができるように意図されたものです。ある意味では、−これは彼に敬意を表していうのですが−デュシャンがしたのと全く反対の事をしようとしていたのです。日常的な使い方から物を推測して芸術的なコンテクストの中に直に反映するというよりも、人々の行動に直接関わるアート作品を作りそこで起きた行動をアーティスティックな経験の一部に取り込むことを試みているのです。』
Image from the interactive installations Il Nuotatore and Coro
スタジオ・アッズーロのプロジェクトの中に「記憶の男」がある。過去のどんなことも、自分の誕生した時の事でさえ忘れることのできない男の話だ。この作品では生活の全ての瞬間において、全部のイメージがコンスタントに臭いや感覚といった他のイメージと結びついていることが表現されている。主人公は記憶という、メカニズムと回路が交錯する複雑な檻の中を作り出し、それに耐えている。
『インタラクティブなインスタレーションを用いてきた私達は、ナレーションは時間のように継続的なものではなく、分けられたりくっつけられたりするものだということを経験してきました。これは私達の中にある記憶がクリアになっていくのと似たようなことなのでしょう。』
Text: Loredana Mascheroni
Translation: Naoko Ikeno
Photos: © Studio Azzurro