ヘクター・アユソ

PEOPLEText: Eduard Prats Molner

2000年からインオフェンシブ・エージェンシーのディレクターを務めるヘクター・アユソは、かの OFFFフェスティバル(オンライン・フラッシュ・フィルム・フェスティバル)の創立者であり、ディレクターである。彼はバルセロナにて映画制作を学び、これまでに第1回ベニカッシム・ミュージック・フェスティバルへの出品作品を含む、短編作品を5つ、長編作品を2つ、ドキュメンタリー作品を一つ制作してきた。1995年に、インタラクティブ・プロジェクトを手がける初めのエージェンシーを設立。そこではアートディレクターとしても活躍する。

また、デザインやインタラクティブ作品が、アート・フューチュラ、ラテラル・シンキング、ラッキー・ストライク、サン・ミゲール、レッド・ブル、ディーゼルなどのクライアントにも起用されている他、アーティスト達と組んで手がける非営利目的のアート作品やパフォーマンスなども行っている。2005年からは、バルセロナのBAUデザインスクールにおけるモーション・グラフィックス大学院研究の講師陣の一人として、またOFFFカンファレンス・シリーズの理事として活躍中だ。

まずはじめに、バックグラウンドを聞かせてください。

子供時代に沢山のトラウマを抱え、17、18歳の頃にバレンシアからバルセロナへなんとか逃げ出しました。そこで映画制作を学び始め、フィルムメーカーとしていくつか可笑しな経験をした後、コンピューターに出会いデザインスタジオを設立しました。Flashのブームがはじまった頃です。数年経ちクライアントのやり取りに疲れ、OFFFのアイディアを発展させました。その時からずっと、僕の個人的な生活もそのイベントも同じステージの上で走って、成長して、走って、成長して、と繰り返しています。

OFFFがスタートしたきっかけは何ですか?

第一回のOFFFの間に、この質問をそれは沢山聞かれてきたので、僕は毎回違う答えを考えて楽しむことに決めています(笑)。でも真実を答えることは約束しますよ!

全ては日曜の午後に起こりました。バルセロナのサッカーチーム「バルサ」がテレビに出ていて、僕はソファに横になりながら短編映画作品にフラッシュを使うアイディアを考えていました。突然、そのアイディアを使ってイベントを主催することを思いついたのです。そうすれば他の人たちも作品を発表することができる、と。それが当初このイベントの名前を「OFFF = オンライン・フラッシュ・フィルム・フェスティバル」にした理由です。

それと同じ日に(信じてくださいね。笑)、そのイベントのためのサイトを立ち上げ、ジョシュア・デイビスに連絡をしました。彼のことを全く知らずに。僕は彼にアイディアを伝え、彼が「Praystation」にそれを投稿した訳です。ブーン!OFFF誕生!僕は未だにその時のスクリーンショットを持っています!(笑)

OFFFの明確で具体的なアイディアを思いつくまでにはどれくらいの時間がかかりましたか?

明確で具体的なアイディアは存在したことがないと思います。一つだけ当初から明らかなことは、OFFFは定められた規定に基づいたイベントではなく、ネット上で起こっていることに合わせ、時を経て共に変化し、成長していくイベントだということです。

僕は自分がインターネット依存症だと認めなければななりません。沢山徘徊し、常に新しいものや驚かせてくれるものを探しています。そうしてOFFFが進化し、成長してきたわけです。特にOFFFのクリエイティブ・ディレクターのエイミー・カンポスを初めとして、同僚やコラボレーター達からの大きな影響ももちろんあります。

第1回目のOFFFイベントを企画するまでにはどれくらいかかりましたか?

アートやクリエイティブの面で言えば、とても早かったです。経済的に言えば、今も解決していません。第1回OFFFは素晴らしかったです。あの経験は一生忘れないでしょうね。沢山の素晴らしい瞬間と逸話があったのですが、その時の経済的な災難が今にも影響しています。

でも他の似たようなイベントと違い、OFFFは競争価格の入場料を提供していますよね?

もちろん。それも当初から明らかにしてきたことの一つかもしれません。僕たちはOFFFを、プロフェッショナル、学生、一般人と、誰でもアクセスできるものにしたかったのです。これは僕たちにとってとても大事なことで、経済的に困難であろうが常に低価格を保つために戦っています。それが正しい道であることは確信していますし、赤字にならずにバランスのとれた状況にたどり着けると思います。サポートしてくれるいくつかの機関が現れればすぐでしょう。OFFFは、他の場所では見つけられないハイクオリティーの内容を提供することを目的とした非営利のイベントです!多くの人は、僕たちはプライベートスポンサーからの巨額のお金を得ていると思っていますが、他の主流イベントに比べると本当に微々たるものです。

これまでのOFFF主催にあたって最高の経験と、最低の経験は何ですか?

全てが学びのプロセスで、自分の熱狂を引き出すチャンスを与えてくれる成長への道だと思っているので、最低の経験は僕にはありません。そうでなければこのイベントを扱うことなんてできなかったでしょうね!(笑)

最高の経験は、僕が関わり続けている素晴らしい人たち(同僚、アーティスト、観客など)や、イベントが終わった時の満足感、信じられないようなフィードバックをもらった時などです。今年は特にそうなのですが、本当に沢山の人がイベント最終日に個人的には知らない僕のところにやってきて、ただ、イベントを主催してくれてありがとう、こんなに安い値段でありがとう、3日間インスパイアしてくれてありがとうと言ってくれたのです。カンファレンス・ホールから涙を溜めながら出てきて、僕にビッグハグをしてくれる人々に出会いました!ここで感謝しなければならないのは僕です。毎年OFFFにきてくれる全ての人に。本当にありがとう!

今までにOFFFが観客に提供した最高のものは何だと思いますか?

OFFFが始まった当初から、観客はこのフェスティバルのコンセプトを理解してくれているので本当に満足しています。OFFFはただの会議やカンファレンスのシリーズでもないですし、娯楽のフェスティバルでもありません。その両方を掛け合わせたようなもの。そう言うと、ユニークな体験としてOFFFを認識しやすいかと思います。

僕たちが提供するどのコンテンツもハイライトとして取り上げるのはとても難しいことです。なぜなら僕は常に忙しくしていて全てを見る時間がないので(笑)。その中でもリラックスしたムードでしっかり見ることができたいくつかを思い浮かべていうとすれば、昨年のネヴィル・ブロディのカンファレンスは忘れられないものでした。彼はステージの上で個人的に僕にお礼を言いました。とても感情に訴える瞬間で、今では彼が僕のとてもいい友人だと言えることをとても幸せに思います。

OFFFはもう一人の素晴らしい友人を僕に与えてくれましたよ。フェスティバルのゴッドファーザー、ジョシュア・デイビス。彼は天才で素晴らしい人!

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