OFFF 2010
今年のOFFFは6月の終わりにパリのラ・ヴィレット大ホールでその10周年を祝い開催された。ヨーロッパで10回、ニューヨークで1回、過去10年間でOFFFは11回開催されてきた。加えて、メキシコでは2回開催を断念している。
幸運なことに、私は11回のうち9回に参加することができた。参加できなかったのはバレンシアとニューヨークのイベントだけだ。付け加えると、2005年からシフトのためにこのイベントの取材を行っている。うれしいことに、毎年このイベントの開催を可能にしているスタッフにも出会うことができた。
「オンライン・フラッシュ・フィルム・フェスティバル」(OFFF)は、2001年にバルセロナで始まった。ディレクターのヘクター・アユソが温めていた、形式にとらわれないイベントのアイディアが実現したものだ。当初、彼は映画やモーション・グラフィック、そして彼自身の作品でフラッシュを使用するというアイディアに対する情熱のみに突き動かされていたが、人々が自分の作品を紹介し、共有し、学ぶことができる、映画やモーション・グラフィック、フラッシュに関連したイベントを開催できたら素晴らしいだろうということに思い至った。ヘクターは成功には欠くことのできない「ささやか」な幸運に恵まれていた。フェスティバルの名付け親、ジョシュア・デービスに感謝しなければならない。
OFFFの第1回目は少々押し付けがましいアドビからの資金援助を受けて開催され、皮肉なことに、現在にいたるまでもっとも豪華なフェスティバルとなっている。
OFFF 2001の最初のスピーカーの中にはジョシュ・ウルムがおり、印象的な「インタラクティブ・ナラティブ」の話を通して、OFFFの魅力をオーディエンスに伝えたと記憶している。
OFFFは「オンライン・フラッシュ・フィルム」アワードから離れ(現在もその名前のイニシャルは引き継いだままだが)、低コストのイベントへとシフトすると同時に、煩わしいスポンサー契約からどうにか手を切った。他の似たようなイベントと比べてOFFFはずっとコストが低い。
スポンサーから離れたからといって、その後のフェスから魔法が消えてしまったわけではない。ジャレド・ターベルに魅了され、ケイシー・リースとベン・フライには圧倒され、ステイメン、アーロン・コブリンそしてジョナサン・ハリスにインスパイアされ、ザック・リバーマンとゴラン・レビンに驚きを覚え、ジョン・マエダ、ステファン・サグマイスター、そしてポーラ・シェアの虜になり、ラスター・ノートンと高木正勝によって音と映像の旅に連れ出された。そして、上記した人々はそのほんの一部に過ぎない。
ではパリで開催されたOFFFの10周年アニバーサリーはどうだったのか。
その内容、出演者、成功や失敗を超えて、OFFFはOFFFというイベント自体を特別なものにする、非常に特殊な雰囲気に常に包まれている。そしてその雰囲気が失われることは決してない。
私の意見を言わせてもらえば、パリにおける今回のOFFFは今までで最も優れたイベントというわけではなかった。しかし、さらなる魔法を提供してくれた。
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