岡部昌生
PEOPLEText: Kenta Torimoto
今回展示されているフロッタージュには、3つの数字がプリントされていますね。
フロッタージュは、広島旧国鉄宇品駅プラットホームを擦りとったもので、作品には3つの1894、1945、2004と年号が記されています。1894は日清戦争開戦の年であり、山陽鉄道から宇品港(現広島港)までの軍用鉄道か造られた年です。それ以来、第二次世界大戦集結まで、この駅から莫大な数の軍需物資と兵士がアジアへ向けて送り込まれました。1945は広島に原爆が投下され、終戦を迎えた年です。2004は高速道路建設によって宇品のプラットホームが壊され、これ以上刷り取ることができなくなった年です。
近代日本の海外侵略の拠点のために造られ場所が、その結果として原子爆弾という形で被害を被り、同じ場所が加害と被害の同時に2つの顔を持つこととなった。そして都市の再開発計画で完全に消滅してしまい、人々の記憶から忘れ去られようとしています。
今回の展覧会「色は憶えている」はいつから構想していたのですか?
去年の震災以降、アーティストとして何ができるのだろうという思いがあり、なかなか整理ができず、一年間の時間を必要としました。アーティストとして違った角度で物事や、将来を見据えた考え方、態度を探っていかなければならないという中で、ヴェネツィア・ビエンナーレでの展覧会以降、作品に携わりながら旅してきたことも含めて震災以降の問題を考えるきっかけになる展覧会になれば、という思いで開催しました。
展示はヴェネツィア以降の作品が中心となっていますが、震災以降に制作した作品はありますか?
福島三陸海岸の600キロの中の6都市の作品が12点で、震災直後に制作した作品です。それから震災前ですが、土の記憶という縄文の土をつかった作品。そしてヴェネツィアの時の作品に福島の黒い一枚のシートをかぶせることによって、今日的な福島以降というものをそこで表現しています。
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