若手アーティストのための国立美術館賞 2011

HAPPENINGText: Kiyohide Hayashi

今回の展示で最も強い印象を与えていたのはおそらくアンドロ・ウェクアの作品かもしれない。
1977年生まれのグルジア人アーティストは映像作品やインスタレーション作品を出品しており、それらが生み出すシュールな世界によって大きなインパクトを与えていた。展示空間では照明が落とされ暗闇の中に映像作品が浮かぶ。しかしあたりを見渡せば、映像以外に光に照らし出されている非常に精巧な人間の彫刻作品が目を引く。

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Andro Wekua, Ohne Titel, 2011 Wachs, Holz, Metall, Stoff und andere Materialien © Andro Wekua, Courtesy of Gladstone Gallery, New York

不思議なことに顔の部分は緻密な建物の模型によって覆われており、等身大の人間に対して建物部分は非常に小さいため、精巧な再現にも関わらず奇妙な組み合わせによって非現実的な世界を生み出している。一方映像に目を向ければ、インスタレーション作品と同様に非現実性は現実的世界に登場することで両者が奇妙な融合を遂げている。例えば映像には実物の人間が登場しているのだが、背景となる風景はコンピューター・グラフィックを使用した過度に演出された美しい世界が広がっており、明らかにあり得ない状況が映像となって映し出される。しかしどこまでが現実なのか、どこから非現実なのかは見わけることができず、全てが虚構のように、また全てが現実のものとさえ思えてしまう。

最近では多くの国際展に出品するアンドロ・ウェクアだが、彼の作品では「記憶」が大きな役割を果たしており、それは母国グルジアを内戦や紛争を理由に後にした彼の個人史を想起させ、彼の人生の暗部さえも気付かせる。例えば彼の建築模型は彼の生まれ故郷スフミの建築物を再現したものであるが、それらは彼の記憶が形成させているがゆえに多くの再現はファサードのみに終わっている。全体像を欠いた建築模型群は彼の過去を指し示すと同時に、虚実綯い交ぜとなった新たな物語をも生み出し見る者を誘う。しかし何より彼の作品が単なる個人史に留まらないのは、ある種の普遍性を持つまでに変容を遂げた現実に依拠した非現実の物語の魅力に他ならない。

1980年生まれのシプリアン・ガイヤールはヴェネチア・ビエンナーレベルリン・ビエンナーレなど大規模な国際展への参加や、ベルリンの現代美術館「KW」での個展開催など近年の活躍は目覚ましいものがあり、本展でもその活躍にたがわぬ素晴らしい作品を見せていた。

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Cyprien Gaillard, Artefact, 2011 Film (HD Video übertragen auf 35 mm), endlos, Ton © Cyprien Gaillard, Courtesy of Sprüth Magers Berlin London

フランス出身のアーティストは35ミリフィルムの映像作品を出品しており、砂漠、遺跡、廃墟、博物館などを緩やかな音楽と共に映し出す。映像の大部分はイラクの風景を映したものだが、そこでは現代の戦争の傷跡ばかりを取り上げるのではなく、古代の遺棄された都市の姿も同じ視線で眺めており、街が破壊され打ち捨てられて荒れ地へと戻るという文明のサイクルさえも感じさせ、一種の無常観を生み出している。

そもそも破壊のプロセスをテーマとするアーティストは、映像、屋外彫刻、写真、インスタレーションと様々なメディアを使用してこのテーマへのアプローチを図っている。彼の作品で最も印象的だったのはKWで展示されたビールケースで形作られた巨大なピラミッドだったが、来場者はそこでビールを飲むことができるため、紙製のビールケースを破壊して中のビールを取り出し、最終的にピラミッドは人々の欲望によって崩れていくものだった。この展覧会のオープニングでは何百人の来場者が訪れ、会場は酒場と化し、作品は多くの人を巻き込み、美術館という閉ざされた空間を開放していた。しかし一方で、トルコ産ビールの使用によって、トルコからドイツへと移設され現在はベルリンの重要な観光資源となっているペルガモン神殿の存在を思い出させ、19世紀のヨーロッパ列強の姿や21世紀のヨーロッパの国々の経済的な立ち位置を「欲望」を通して描き出していることを忘れてはいけないだろう。

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