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手塚治虫「火の鳥」展

HAPPENINGText: Sébastien Raineri

手塚治虫の作品は、日本のポップカルチャーの芸術と哲学を構築してきた。彼の数ある傑作の中でも、『火の鳥』は自から「ライフワーク」と宣言した作品であり、過去と未来が交錯する壮大な叙事詩は、生と死、そして不死を求める人間の闘いを瞑想したものである。この伝説的な作品の大規模な特設展覧会、手塚治虫「火の鳥」展が、東京シティビューで、2025年3月7日から5月25日まで開催される。本展は、この不朽の名作が持つ哲学的な深みと芸術的な輝きにかつてない角度から迫る。

『火の鳥』は、マンガ史上最も野心的で深遠な作品のひとつである。神話の過去から遠い未来までの数千年にわたるこの物語には、人間の野心、モラルに対するジレンマ、生と死と再生の絶え間ないサイクルが絡み合う。物語の中心には、神の力を持つ不死鳥がいる。不死鳥の血は永遠の命を与えるが、不死鳥の存在は、永遠は贈り物ではなく、重荷であるという悟りという、はるかに深い知恵を与えてくれる。永遠の命を与える血を持つ鳥、という繰り返し現れるモチーフは、長寿と悟りを執拗に追い求める人類のメタファーとなっている。


手塚治虫『火の鳥』展 メインビジュアル © Tezuka Productions

手塚は『火の鳥』に数十年を費やし、この12編からなる作品を作り上げた。物語の構成は驚くほど型破りで、過去と未来を交互に描いている。この二重の動きがリズミカルな振り子を生み出し、逃れられない時間の性質と、超越を求める人類の絶え間ない渇望を強調している。各巻は完結しているが、全体として壮大で宇宙的な存在の瞑想を形成しており、火の鳥の永遠の飛翔そのものを映し出している。『火の鳥』内の物語は、人間の経験の広大なスペクタルを探求している。古代を舞台にした「黎明編」では、支配者たちが不滅を求めるがゆえに破滅を迎えるという、権力と征服の無益さを目の当たりにする。もう一方の「未来編」では、技術の進歩が人類を疎外し、文明を破滅に追いやるディストピアの世界が描かれる。この両極端の間で、不死鳥は戦争、啓蒙、愛、絶望の時代を横断し、常に「生きるとはどういうことか」という中心的な問いに立ち戻る。


『火の鳥』鳳凰編 © Tezuka Productions

スタイル的には、『火の鳥』は手塚の視覚的ストーリーテリングの達人ぶりを示している。流れるようなコマ割りは、手塚の天才的な構図と同様、しばしば映画の技法にインスパイアされ、読者を時空を超えてシームレスに導く。ユーモアと重厚さ、シンプルさと複雑なディテールのバランスをとる彼の能力は、哲学的な深みを保ちながら、作品に普遍的な親しみやすさを与えている。不死鳥そのものは荘厳かつ幽玄な存在として描かれ、人間の理解を超えた存在を体現している。

手塚は1989年の死の間際に『火の鳥』を未完のまま残したが、そのことがテーマをより強固なものにしている。物語は不死鳥のように永遠である。読者の世代が変わるたびに、そのページには新鮮な意味が見出され、その疑問はこれまでと同じように関連性を持ち続ける。結局のところ、『火の鳥』は単に読むべき物語ではなく、熟考すべき体験であり、物語が持つ無限の可能性を示す高揚した証なのである。


プロローグ 火の鳥・輪廻シアター © Tezuka Productions

本展では、「黎明編」から「太陽編」まで、『火の鳥』の12編にまたがる約400点の原画を展示。生物学者である福岡伸一が中心となり、生命がエントロピーに抵抗し、創造と破壊の間を絶え間なく揺れ動く状態である「動的平衡」の概念と生物科学のレンズを通して『火の鳥』を解釈し、シリーズの物語構造を新たな視点から分析する。

展覧会は、『火の鳥』の世界観を表現した映画館の一室で、マンガのページを映し出す大型スクリーンで幕を開ける。不死鳥は、時空を超えて変化する生命の象徴として表現されている。それを重ね合わせた映像作品は、「動的平衡」という生命観であり、それによれば、生命は破壊と創造を無限に繰り返しながら、エントロピー増大の法則に抗い続ける「流転」であるという。この壮大な演出は、展望台から首都を一望できる東京シティビューでは、さらに大きなスケールで展開される。

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