サラ・チラチ

PEOPLEText: Ilaria Ventriglia

サラ・チラチは、彼女一人でもう一つの世界に生活している。決して終わることのない砂漠の風景、真夜中の太陽、UFO、バイオレットのトーンを持つ砂丘、そして放射性の色彩。それらは、ほとんど人の住んでいない人工的な場所で、ひょっとすると将来あり得る光景かも知れない。想像上のシーンなのかも知れない。UFOとSFの古典についての本が、好んで使った素材だ。

彼女は、デジタル写真、ビデオ、インスタレーション、彫刻といった、様々なメディアを用いている。毎日、リアリティを再現したり、撮り直したりする技術が、色のある夢「個人的幻想」や「予期していた光景」に対する恐れや欲望に形を与える。

『私の写真は、本当は存在しない。心の状態が形を変えたものが、これらの写真なのです。』


Sarah Ciracì, I Wasn’t Particularly Astonished to See Them on the Horizon, But I would’ve Never Imagined They Would Land and Talk to Me About Their Planet, 1995, 3 Iris print 34×26 cm

2回目のミレニアムの最後、芸術において重要な変化があった。より人間的で主観的なアプローチによって、自伝的な苦しみと私的な不安が、観念的でフェミニンな世界に取ってかわるというようなことが起こったのだ。実際この10年間、女性アーティストの中では、こうした動きが明らかに高まっている。加えて、60年代から現在にかけての技術的な方法もテクノロジーとアートの関係についての考え方を変えてきた。60年代のテレビのモニター、カメラ、電話といった、身体的な道具としての技術がもつ本来の用途から、70年代の反射の瞬間としての黒と白の実験を経て、豊かな80年代のコミュニケーションにおけるテクノロジーをもって、現在に至っている。今日のアーティストは、インターネット、テレビ、ビデオクリップ、広告などの日常の技術と共に育った世代だ。技術の飛躍的な開発をもたらした、イメージの「肥大」を定義づけたものが、虚像である。

技術の最高表現として、虚像に関する理論は調子はずれだ。一方では、夢や創造を必要とする、隔世遺伝的な人間に出会い、もう一方では、リアリティの代用物の口実は、人間の夢見る能力が薄れて、そこには無いのだと提示しているようだ。発展を押し進めることが、不動の物へと形を変えているのだ。これが、ジャン・ボードリヤールが私達に考えさせている恐れである。もしかするとサラ・チラチは、それを取り巻く道筋を見つけたのかも知れない。もし、技術的な進歩が、我々の現実を所有して行くのなら、それを放っておいて、もう一つの世界に逃げ込むより他にない。彼女によると、マルセル・デュシャンはスペースシャトルと浸透性のある部屋に住むエイリアンだという。今日サラは、そのマルセル・デュシャンやUFOと共に生活をしている。

『もし、我々の次元の知覚で活動し、私達の直観のコードとして大きくすることができるのなら、おそらく私達は目に見える宇宙船やエイリアンを作ることができるでしょう。そんな物を理解できますか?想像できますか?』

『1995年にUFOを見ました。そして、作品を制作すると同時に、その光景を書き記しました。水平線に出現したUFOを見ても、特に驚いたりしません。でも、UFOが上陸して、エイリアンが自分達の星の事を私に語る状況は、想像つきません。私が直観の中に新たな水平線を見い出したのは、UFOを見てからです。』

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