蓮沼執太

PEOPLEText: Yu Miyakoshi

「音的」の展示について教えてください。

新作を10点展示します。全て2012年末から2013年1月に制作した物がほとんどです。本当はもっと前から制作をスタートしたかったのですが、蓮沼執太フィルのコンサートなどで時期がタイトになってしまいました。たとえば『World in Our Hands』というビデオ作品があります。今までは自分の映像に音楽をつけるということをしなかったのですが、この作品では初めてそれをしています。

そのほかにスタディーズで撮影した『タイム』の映像作品、ガラスとガラスが擦れて音が鳴る砂時計のような作品、展示設営中に撮影を行うメンバー紹介のビデオ作品、そして『Boomerang』というリチャード・セラのビデオ作品からヒントを得た、僕が作曲したメロディーを友人に口ずさんでもらう映像作品などがあって、会場の真ん中に『コミューナル・ミュージック』という音楽作品があります。

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“CC OO” 4 CD Set Album, 2012 (UNKNOWNMIX / HEADZ)

会場全体で音の設計のようなこともされていますか?

そうですね、僕はそういうことを当たり前のように思っている節があるので、説明が足りてないかもしれませんね。音の設計はもちろんしています(笑)。細部まで緻密な演算的なことから、偶然性を入れる部分まで考えてやっています。

たとえば、『コミューナル・ミュージック』という音楽作品は、それ自体にもそういった要素(音の設計)はあります。この作品の大きなコンセプトは、スピーカー10個から出力される音楽だけが作曲した作品ではありません。周りの環境音も合わさることで『コミューナル・ミュージック』というひとつの音楽作品が成立するというものです。楽曲構成要素として作曲段階から環境音までを一要素にしています。

聴く人の立つ場所によっても音が変わってきますが、『コミューナル・ミュージック』以外の作品と、音や音楽が干渉し合います。それらは決してネガティブなことではなく、そういった干渉してしまうことも全て含めて “ひとつの音楽” として成立できるような作品です。

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Studies at Asahi Art Square, 2012

「音的」と聴くと抽象的な感じがしますが、プロセスのひとつひとつは明確ですね。

タイトルは素直ですよ(笑)。「音のようなもの」、すなわち「音」だけ、ではない。「sound」じゃない、というメッセージが強いです。タイトルは英語から発想しました。つまり「音楽」を展示している、という意味です。

あまり「音」という言葉自体を展覧会のタイトルにしたくないのですが、英語の「sound like」から「音的」という言葉を使用しました。僕は「音楽」を媒体にして作品を作っていくわけですが、それは既存にあるようなサウンドアートやメディアアートと呼ばれる表現領域とは全く違う立ち位置だと思っています。

いま2月13日に行うシンポジウムのためにウェブ上でパネリストと意見交換をしています。そこでも歴史という認識について意見を交換していたりしますが、僕は今、膨大な歴史を持つ音楽の古さを現代化してみることに意識的に行動しています。もっと音楽の捉え方や価値観を広げることに挑戦していきたいと思っています。

蓮沼さんの活動の周辺に自然と音楽とアートが起きてくる、というのが不思議です。

そうですかね?とりあえず行動に起こしてみるということの連鎖ですからね。失敗がまず有りきで挑戦する、で、また失敗する(笑)、ということの連続です。まあ日本でも60年代の芸術の中で、国内に於いて沢山のジャンルの貫通があったと思うのです。そういう空気感というのを一人で再考している気がします。

蓮沼執太展「音的」
会期:2013年2月9日(土)〜17日(日)
開館時間:12:00〜21:00(2月9日のみ18:00開場)
会場:アサヒ・アートスクエア
入場料:パスポート 500円(会期中再入場可)
出品作家:蓮沼執太 × 金氏徹平 × 津田道子 × 毛利悠子 × 山城大督
https://asahiartsquare.org

Text: Yu Miyakoshi

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