
メイド・イン・チャイナ
V&Aミュージアムのチャイナ・デザイン・ナウ展を見に行く者なら、このおなじみの「メイド・イン・チャイナ」という言葉はすぐにでも全く新しい意味を持つことだろう。
深圳の先駆的なグラフィックデザイナーから、上海の新しい都市中層階級のファッションには抜け目のないライフスタイル、次期オリンピック都市・北京の最先端の建築デザインまで、映像、写真、プロダクトや家具のデザイン、ユースカルチャーやデジタルメディアを媒介として、チャイナ・デザイン・ナウは、以前の社会主義であった過去とともに、中国の再結合を豊かに見て回るものとなっている。
明朝の磁器、纏足の慣習、世界が愛する点心の贅沢な風味、崇敬される少林寺拳法の技術、そして伝統的な中国建築の大塔、これら世界中に認知されている中国の豊かな歴史的遺産の面影は、世界で最も複合した、畏敬の念を起こさせるものの発祥地であった古代文明へと導く。しかし、毛沢東の前世紀当初に起こった、国民全員の専念を集めるという君主的な方法は、無数の古代建築、工芸品、アンティーク、書物、絵画の組織的破壊を意味し、花でさえも滅亡すべきものだと考えられ、子供たちは運動場の芝生を踏みつけ、花の蕾をむしり取るよう教えられた。
"Chinese World View" by Guan Xiao (2005)
当然のことながら、ヨーロッパ、アメリカ、日本に、概念、デザインや創造が定着していく間に、文化革命の時代は、世界の電子機器、靴、機械やその他諸々のつまらない大量生産の時代で埋められた空白を中国に残した。

"Hi Panda" sculptures by Ji Ji (2006)
あるいは、これら文化の滅亡・抑制・欠乏の時代が、今日の中国が、特にデザインの分野で、活気に満ちた創造性を楽しんでいる理由なのかもしれない。200以上もの展示で、現代の中国の魅力的な洞察力を紹介し、過去20年間にわたる中国の希望や夢をまさぐりながら、チャイナ・デザイン・ナウはこの新しい文化の変動を祝っているのだ。
"Homescape" photo collage installation by Chen Shaoxiong (2002)
まだ記憶に新しい4年ほど前には、中国の都市の若者は、まだなおナイキの靴のためならなんでもし、国内レーベルのソフトドリンク、ジャンリバオよりコカコーラを選んでいた。しかし、急速な経済発展の影響は、中国の中心都市の新しい建築、デザインの急増を意味するものとなった。 V&Aディレクターのマーク・ジョーンズは『すさまじい早さの変化は、中国の大都市でファッション、プロダクト、アーバンデザインを形づくる新しい世代のデザイナーや建築家に影響を与えたんだ。』と語る。
これらの力強く新しい国民的なブランドは、今ではもはや中国の市場で争うだけではなく、世界の注目を集めるものとして、国際的なブランドと競争している。
展示ルートは、中国南部のグラフィックデザイン、上海のユースとアーバンカルチャーから始まる。キュレーターのローレン・パーカーは「上海のデザイナーは、スケートボード、スニーカー、Tシャツなどの国内の若者のトレンドと、伝統的な中国のアイコンとの関係を、遊び心を交えて探っている。」と語る。
デザインのコンセプトは、現代中国の目新しいものの何かにある。毛沢東の時代には、それらは単に、国が所有する会社で大量生産をする、ほんのひと握りの「アーティスト工員」しかいなかった。
Poster for China's first graphic design exhibition by Chen Shaohua (1992)
しかし、1990年代から、香港をインスプレーションと技術基準として使っていた先駆者たちは、第一のコミュニケーション役とし広告掲示板と変化していった。はじめは近くの香港で、そして、台湾、今やヨーロッパ、日本、アメリカへとコミュニケーションを深めていった。この数年間、数々の世界レベルのアート、デザイン団体が出現してきた。特にMEWEデザイン連合とPerkは学際的なデザインの相互認識とクリエイティブなアイデアとの交配によってつくられたものだ。
展示の第2段階は、中国の北陸海岸から、「チャイナモダン」の発祥地であり、国内で最も国際色のある街、上海へと私たちを導く。1950年代初期の間、毛沢東の独裁的な大躍進政策の介入で、多数の人々がこの街を離れた。それら多くの移民者たちは、街の運気が蘇り、経済が変わり、そして新しい都市中級クラスが生まれたのを機に、街に戻ってきている。