阿部典英

PEOPLEText: Ayumi Yakura

北海道を代表する現代美術家として、60年以上にわたり第一線で活躍している阿部典英は、デビュー以来、人々を圧倒するダイナミックな発想の作品を国内外で数多く発表しているが、その実績と評価に捉われることなく、一点一点の新作が今なお表現の進化を続けている。

今年の夏は、平面作品をクロスホテル札幌の空間に合わせて構成した個展「ア・ラ・カルト」を開催中で、秋からは中国の黒龍江省美術館にて大規模個展を開催する阿部氏に、これまでの代表作や、近年移住した自然豊かな環境で生まれた新作のこと、そして、将来の夢を伺った。

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「手」1973年, 120 x 125 x 438 mm 他(11点組), アルミニウム, Photo: 酒井広司

まずはじめに教えてください。阿部さんはなぜ美術家になろうと思われたのですか?

どこから話したら良いかな…僕は高校一年生の時に、美術部と書道部に入りました。そして二年生の一学期、美術部を辞めた時が「美術をやっていこう」と覚悟を決めた時でした。

書道の加納守拙先生は、僕の作品を見て「阿部君は、自分の好きな表現をしなさい」と言ってくれた。一方で美術の先生は、しっかり教えようとしてくれたと思いますが、要するに「先生と同じようなことをしないとダメだ」と、正反対の事を言われました。

それで僕は「美術ってそんなに規則正しいものかな?」「表現ってそんなに難しいものなのかな?」と疑問に思ったのです。

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高校時代の書, 1955~58年, 690 x 1,340 mm 墨・紙

例えば、美術は1、2、3…と一段ずつ、規則正しく段階を上がっていけば合計で55に行けるという。でも、1、3、7へ飛んで、やっぱり2に戻って…と不規則に上がっても55には行けますよね。作品を制作する時には、いろいろな考えが出てきて「もう一度原点を勉強したい」という要求も出てきます。それを自分で自由にやれるというのが、僕には合っていると思います。

僕は絵が好きで、色の数が多い表現が好きだったから、「独学でやろう」「美術を貫こう」と決めたんですね。

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「ネェ ダンナサン あるいは 静・緩・歩」2008~10年, 2,100 x 5,500 x 2,300 mm, 木・パルプ・黒鉛・合成樹脂・酢酸ビニール樹脂, 「阿部典英の全て ー 工作少年、イメージの深海をゆく」2012年, 北海道立近代美術館

「ネェ ダンナサン」シリーズにはどんな意味が込められているのですか?

一つは、本名である阿部典英(のりひで)が、アーティストの阿部典英(てんえい)に向かって「こういう表現で良いのか?」と自問自答しているということ。もう一つは、一般の人々に対する「つまらない作品だけれど、どうぞ見てやってください」という呼びかけ。そして、ノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家ジョン・スタインベックの小説「二十日鼠と人間」に出てくる台詞「ネェ ダンナサン」からの引用でもあります。

初めて「ネェ ダンナサン」という題で作品を発表したのは1965年の平面作品。ベトナム戦争が始まった時に、僕は「また殺し合いを始めている」と思った。なぜかというと、子どもの頃に第二次世界大戦で田舎へ疎開して、父はシベリアで捕虜になって、父が居ない生活が3年くらい続いて…とんでもない経験をしました。だから「戦争を早くやめてください」と、そういう呼びかけもありますね。

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「オヨメサン」シリーズ, 1988~, 木・竹・アクリル絵具, 「阿部典英の全て ー 工作少年、イメージの深海をゆく」2012年, 北海道立近代美術館

「オヨメサン」シリーズについても教えてください。

音威子府村(北海道の北部)の離農した農家を借りて、木に黒鉛を塗った真っ黒な作品「MOKUJIN」(モクジン)や「ネェ ダンナサン」のシリーズを制作していた頃に、寒いから制作で出た木っ端を燃やしていたら、木っ端から「燃やさないで」という声が聞こえて。素描する為に持っていたリキテックスを木っ端に塗って組み立ててみたら「これも面白いな」と思って沢山作ったんですね。

「ダンナサン」は「アダム」。その木っ端で作ったから、肋骨から作られた「イブ」という関係と考え「オヨメサン」というタイトルにしたのです。

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