パイド・パイパー

PEOPLEText: Chibashi

90年代という時代も残すところ後わずかという今、ようやく90年代の姿が見え始めてきたような気がする。それは今までの時代が持っていたものが集積され、境界が失われ、横断的なものが、確信を持って生まれる時代になってきたということだ。

インターネットが国境という境界を少しずつ曖昧にしていく。サンプリング、リミックスという手法は、模倣の域を越え確実に新しいものへの手触りを感じ始めている。コンピュータ等の新しいツールはアート、デザイン、音楽等の境界を踏み越えた新しいクリエイターの登場の手がかりを確実に作りだし、ミックスされて生み出されるジャンルには、ジャンルという言葉の意味を超越する新しい表現への扉を叩き始めている。

ここに紹介するパイド・パイパー(パラノイア・ファクトリー)は、洋服を通して、デザイン、映像、空間デザイン、インテリア、アート、イベント等の他方面に才能を発揮している。それは今、確実に起こっている90年代の動きを象徴するような確信を持って突き抜けていく。そして、彼等は90年代に突然発生したものでもなんでもなく、確実に時代の確信の中にいたからこそ、今をリードできる力を手にしたことを、このインタビューで理解してもらうことができるだろう。

パイド・パイパーといえばトータルにデザインを展開しているというイメージがありますが、トータル・デザインの中からアウトプットのメディアとしてアパレルを考えているのか?それとも、アパレルから発展してトータル・デザインを提案・提唱しているのか。その辺からお伺いさせていただきます。

亀石(剣一郎):僕たちの基本概念っていうのが「遊び」なんですよ。それが中心にあって、たまたま始まったのが洋服なんですよ。だから、どれが何から始まってっていうよりも、みんなそれぞれが持っているものでやりたいことをできる範囲になった時にやっていくっていう感じで、順不同です。やれる時にやっていきたいなっていうか。やっぱり、それには色々な支障が社会にはありますから、その支障を少しずつ取り除けるように順序があるってだけで、僕らの基本コンセプトの中の項目はファッションにしても、インテリアにしても、イベントにしても「遊び」なんです。

それが積み重なってトータル・デザインという形になったわけですね。

亀石(剣一郎):そうですね。結局洋服も着たいから、着たい物を作っていくし。

「遊び」ということから始まって、最初に洋服を選んだというのは、元々洋服をやってらっしゃったからなんですか?

亀石(剣一郎):洋服は大好きでしたね。僕なんかはDCブランド全盛の時が一番洋服が好きだった時代で、僕は洋服を買ってきてもやっぱりお金もなかったし自分でリメイクとかよくしていたんです。洋服も好きなんですけど、いろんな遊び、好きなんですよ(笑)。僕は洋服の専門の学校は出ていないですし、何か洋服を学んだってことはないんですよね。だから僕らの中の洋服って結構イメージでしかないですし、唯一関係あるとしたら2番目の弟(将也)がファッション・スタイリストをやっていたってことですかね。

亀石(将也):兄はDCだったけど、僕なんかは時代としてDCに入ろうかなって頃にはジーパンに入っていた。だからジーパンの世代だったんですね。それから洋服が好きになって、渋谷とかよく遊びに行ってまして、ポパイのスタイリストをやっている人を紹介してもらって、スタイリストのアシスタントをずっとやっていたんです。その時に洋服をスタイリストの視点から勉強してました。だから、基本的な洋服づくりというのはそんなに無かったんですけど、逆に広い範囲で洋服っていうものが見れたんです。

亀石(剣一郎):丁度彼がスタイリストをやってた時、僕は大学生だったんですけど、その前の高校生の時はバイクのレーサーもやってたんですよ。バイクのレーサーもやりながら、洋服も大好きで遊ぶことも大好き、みたいな人生を歩んでいたわけです。それで大学に入った時にスポンサー・サイドともめて、レースを断念したんです。結局世界GP目指すのが夢だったんで、その時自分の中で何をやっていけばいいかコンフューズしちゃって、その時点で真っ白になった。それで、じゃあいろんなことをやってみようってことで、サークルを作り始めたんです。やっぱり基本は「遊び」なんで、基本的なサークルを作ってその中からイベントをやったりして、それがだんだん学生企業的に発展していったんですよ。

遊びが原点で、それが仕事につながっていった。丁度僕らの80年代ってそういう流れだったんで、学生企業、それからその学生企業が卒業するとヤング・エグゼクティブっていうって言葉ができたような、あの時代の流れですよね。それで、丁度僕なんかもその時代にいろんなイベントをやって、いろんな人達と交流を持っていった。その中にはスタイリストもいれば、TV業界の人もいてっていう感じでした。

その時もずっと洋服は大好きで、基本的におしゃれしてかっこよくなりたいっていうのは男だったらみんなそう思うことですしね。女の子にモテたいって思いますし、なおかつ楽しく過ごしたいっていうのがありますよね。根本的な部分はそういうところです。

それで、学生企業をやっている時、ひとつその中で疑問に思っていた事があって、その時代は経済の発展とともにバブルの全盛だったわけですよね。ある時から僕はそれにすごい「フェイク感」を感じ初めていたんですよ。結局そういうことをやっていると、例えばちょっとした著名人が「これはいいよね」って言うことに、みんな「いいねいいね」と来る。「ホントにオマエそう思ってるの?」って感じですよね。でも著名人がいいと言ったからみんなはいいし、著名人が笑ったからみんな笑う。友達の間でもそういうフェイク感がつのってきて、僕はだんだんそれに対して退きはじめてきたんですよ。全てのものがニセモノに見えてきたっていうか。それで、作ったサークルをみんなに任せて辞めちゃたんです。

亀石(剣一郎):結局その後バブルが崩壊したじゃないですか。バブルが崩壊するまでの間って、何やってもコマーシャルさえ打てば全てはオッケー売れる物。何を出しても売れた。そういう時代だったわけですね。あの時代っていうのは結局全てがフェイクで、何でもいいから売れたわけです。バブルがはじけた状態で、洋服業界もそうなんですけど方向を見失っていたんですよね。

亀石(将也):どれがいいのかっていう物選びはスタイリストがやって、編集の方なんかも物の見方、人の選び方がバブルなんですよね。編集でこのスタイリストを使うとか、こういうカットを撮るとか。例えばファッションにしても、これが見えなきゃ絶対にダメ。ジーパンはこのジーパンを使わなきゃだめ。ボブソンがスポンサーについているから、ボブソンは絶対に使う。もちろん今でもあるんですけど、それがもっとすごかったんですよ。雑誌の中のページとかに。そういうところに僕たちが不満を感じていた部分があって、お店とかも自分達で好きなものを置いていこうよというふうになってきた。

亀石(剣一郎):その時に、僕らはすごい世の中の動きが見えていた。みんなはバブルの煽りで自分を見失ってコンフューズしている状態。それだったら、分かっている僕たちでやっていこうよ。今だったら「本物」ができるじゃん。という話になったんです。バブルの時代って本物をやってみんな打ち消されてしまう風潮があったわけです。僕は大学を卒業したら事業を起こそうと思っていたんですけど、バブルの間ではやる気しなかったんですよね。それでバブルがはじけた時に、たまたま弟と一年ぐらい一緒に暮らす機会があったわけですよ。その時毎日弟と一緒に話をしていたわけです。「今はそういう時期だよね。」って将也の方からも言って来て、僕も中でも「時期的に今だよな、本物をやるなら今なら認められるだろうな」って思ったんです。

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