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インゴ・ギュンター

PEOPLEText: Eriko Nakagawa

インゴ・ギュンターはジャーナリスティックなプロジェクトで有名なアーティスト。2002年7月13日から9月23日に開催されるとかち国際現代アート展・デメーテルの招待アーティストの一人で、今回はレクチャーのために帯広を訪れた。このビッグ・イベント、デメーテルのメイン会場は帯広競馬場で、「サイトスペシフィック・インスタレーション」という方法を用いた野外アート展となる。


Exosphere Installation. Wolfsburg, 2000.

ジャーナリスト、著者、芸術家と多才ですが、あなたにとって“アート”とはなんでしょうか?

もちろんアートとは全てであり、人によって全く異なるものでしょう。私が芸術の分野に身を置き始めた時には、今とは全く異なった考えや志を持っていました。芸術というものが他の分野間でどのように存在し機能するか理解しようとしました。

例えば、ジャーナリズム、医学、地理学、政治学などがありますが、皆それぞれ明確に定義され、それぞれの役割があります。これらを深く学ぶことができます。しかし、それらの分野間にはお互いを繋げるものは何も存在しません。何かの分野を改善したいと思ったら普通そのヒエラルキーを一つ一つ辿らなければなりません。でもアートは違うのです。そこにはヒエラルキーはありません。Aから始まってZと行くのではなく、どこからでもスタートできるし、どんなところでも終える事ができるのです。あまりハッキリしないものなのです。私はその他分野間にインターフェイスが存在しうることを見つけました。それはとても重要な役割です。それがアートの有益性だと思います。

もう一つ言える事はアートというのは、とても奇妙なものだということです。ある物事から意味を引き出します。ある災難に襲われたとしましょう。もしかするとあなたはそれを成功に変える事ができるかもしれません。まさにアドベンチャーのようなものです。成功しようがしまいが、自分自身のゴールに到達することとは無関係で、まったく他に到着するかもしれませんが、それが役立つかそうでないかは、理解する必要があります。プロセスの中で学び取ったものをおもしろい方法で表現しようとする試みなのです。ですから、芸術とは無条件の空間を創造し、そのことが芸術の自由や芸術たるゆえんです。芸術しか提供できない素晴らしい可能性だと思います。他の分野にはそういった自由さがありません。

環境問題、政治、経済、軍事情勢などジャーナリスティックなテーマを用いていますが、何故その様なテーマをアートとして表現するのでしょうか?

時々ジャーナリストになりたいと思う事があります。世界中に起こっている問題は芸術的な問題ではなく、現実的な問題で、現実的な解決策を必要としています。ジャーナリストは何をするのでしょうか。彼らは問題について書き、調査し、また書く。理想的には、一般の人々がその問題を発見し、人々の代表である政治家が何らかの行動を起こすということになります。

この過程は物事を動かす、前進さえるための基本となり、また単純なものです。しかし私にとってこのプロセスはいささか長く感じられ、しかもそれがいつでもうまく行くとは限りません。もし私が何かについて書くならば、『何故そうなのか?』、『何故もっと違った方向に進まないのか?』、『それを変えるのに障害になっているものは何なのか?』ということを見い出したい。

ですから、私が難民についてレポートした時、難民について書くのは馬鹿げていると思いました。というのも、またいつもの様に話は「かわいそうな難民達」という内容になって、読者は「難民か、、、大変な問題だ。」と理解するでしょうが、肩をすくめつつも「しょうがないな。」という態度で、すぐ次の話にいってしまいます。少なくとも読者には何らかの悲しい感情を残しますが、それは難民にとって良い事ではないし、読者にとっても良くない、誰にとってもためにならないことです。これがジャーナリズムのデッド・エンドです。道徳的には結構だが、実際問題としてはまったく役に立ちません。私が決心したのはこの問題について良く知り、問題について何ができるのかという提案ができるようになるまでは、書かないことです。

しかしこれはジャーナリズムの鉄則には反しています。ですから私は自分自身方法を考えだしました。例えば地球儀をフォーマットとして使おうとしました。物事の背景を理解し、世界的な見地、国家的あるいは地域的な問題に対して大きさや比率などの情報を与えるものとして地球儀を用いたのです。

もう一つある種の解決策として、少々遊びの要素もあるのですが、人々にある種の考え方に対して疑問を持って欲しかったのです。「あぁ、本当にひどい問題だ」という考え方です。人々に問題を先延ばしにしたり、単なる覗き見的な感覚ではなく、それらの問題と取り組んで欲しかったのです。普通ジャーナリズムのメッセージというのは明確です。もし戦争について書けば、メッセージは「戦争は最高!」というものにはなり得ないでしょう。そんなことは誰も書かないし、書けません。どうやって戦争を阻止すればいいのか、あるいはそもそも何がその惨事を引き起こしたのかという内容になるでしょう。それが私の考えるジャーナリズムですが、ジャーナリズム的とはいえないかもしれない。あまりにも行動主義的かもしれません。しかし時にそういう行動主義がジャーナリズムから生じます。それが私のモチベーションになっていることです。

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