インゴ・ギュンター

PEOPLEText: Eriko Nakagawa

難民共和国」への質問ですが、なぜロゴ・マークをロールスロイスのパロディにしたのでしょう?

パロディですか、まぁ良しとしましょう。しかしパロディとして作ったわけではありません。これはお互いに関わりなさそうな二つのエレメントの組合わせです。難民を思い浮かべてください。お腹をすかせた人々、鮨詰めの四輪駆動のトラックなどを思い付くかもしれません。そしてロールスロイスで浮かぶことは、洗練されたもの、お金持ち、贅沢品など、とにかく数百マイルはなれたところに存在する難民のことなど連想しません。


Refugee Republic Installation. Tokyo, 1996.

それで、私はこういったものを一緒に用いてみたかったのです。何故なら私たちが難民に持つイメージというのは正しいものではないからです。何とかしてそのイメージを変えたかった。難民、キャンプ、飢餓、不衛生、等々、何度も同じ話を繰り返すつもりはありませんでした。それは真実ではありません。ステレオタイプなのです。ですからそういった高級なシンボルを結び付けるのは面白いのではないかと思ったのです。オーストラリア、アメリカ、イスラエルなどを比較してみると多くの難民国家が成功しているのですから。まぁ、何年も昔のことなので、どうしてそんな事をしたのか正確に話す事はできません。初めは買ったばかりのフォトショップとコンピューターであれこれやっていて、面白がって使っていたのです。ですからその作品が私の初デジタル・アートワークになります。

日本でもコソボやアルベニアの難民の話をテレビや新聞で耳にしますが、日本人にとってそれはどこか遠くの国で起こったことで身近に感じない気がするのですが、「難民共和国」のインスタレーションが日本でも96年に紹介されましたよね。ヨーロッパ、アメリカに比べ観客の反応に違いはありましたか?

ええ、全然ちがいます。ヨーロッパ、特にドイツで公開された時は、この作品を無意味な物だと思った人もいました。彼らは明らかにイデオロギーの行きづまりに直面し、本当の難民について何も知らなかったのです。難民にしてやれる一番の事は哀れみを示すことだと思っています。しかしそんな事は必要とされていないというのが、彼らには分からないのです。難民は缶詰めの配給や古い靴を必要としているわけではありません。この問題に対処するのにもっと建設的な方法が沢山あるのです。

アメリカではまったく違った反応でした。アメリカ人は本質的に自分達の国が難民国家だということを理解しています。体制を責めたり政府に責任を押し付けるのでは問題の解決にならないことをハッキリと理解しています。商業的な価値を考慮しなくてはなりません。商業的なアプローチに抵抗がないように思われます。彼らは私の背中をポンとたたいてくれました。

日本では多くの人がこう言いました。『とても興味深いですね。私も難民ですよ。』私はこう聞きました。『あなたは日本人のように見えますけど、どうして難民なのでしょうか。私たちもこうしてあなたの国にいるのですが、何があったのですか?』彼らはこう答えました。『ええ、でも私は社会からの難民なのです。適応できないのでどこかへ身を隠さねばなりません。まるで極秘移民のようです。』

これは驚くべき解釈です。認識することができない、難民であるという心の状態です。このように彼らは社会的なメタファーとして捉えたようです。私にとってその様な考えはショッキングで驚きました。そんな話を何度か聞いたのです。

ある人はこの作品はインターネット上では国境を行ったり来たりしているのだから、誰でも難民であるという事を表現したものだと思ったようです。しかしこれは大きな誤解です。インターネットを使って国境を越え、意味の分からないロシアのウェブサイトを見ている人々を表現したわけではありません。彼らはこのプロジェクトに芸術批評家のみが望むようなある種のシンボリズムを見たのでしょう、あるいは芸術という領域のなかで始まったものだけれど現実世界を照準にしていることを理解しない人々だったのでしょう。まったくバカげたことです。

このプロジェクトは前進し成長し続けていると思いますが、あなたが思っている方向へ進んでいますか?このプロジェクトのゴールは何でしょうか?

当初のゴールは難民を何らかの良い方法でもっと知ってもらい、細かいことまで人々に見てもらう事でした。ただ単に同情するのではなく、もっと適切な見方をして欲しかったのです。そして難民になった人々に自分達が何なのかということを考えて欲しかった。

あからさまな悲劇を越えて難民を見る事で、何らかの経験を積んだり、その悲劇を乗り越えることができるかもしれない。難民は多くの励ましを必要としています。難民の多くは魂の崩壊という状況に陥っています。そういった問題をとらえ、できれば治すことで彼らがまたやり直せるようにしてあげなければなりません。実際に難民キャンプを訪れて学んだ事があるとすれば、この魂の崩壊が一番の問題だということです。食べ物が十分にないとか人々が病気だということが問題ではないのです。普通、短い時間で赤十字や、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)というような様々な団体がそのような問題を解決してくれます。彼らは飢餓の問題やシェルターを与えるなどのまず始めの問題の世話をし、とても素晴らしい仕事をします。

しかし本当の問題はその後何をするかです。これが重要なことです。難民達はキャンプで行き詰まってしまい、彼らの文化からも切り離され、仕事もできなくなってしまいます。平均5年もキャンプで過ごすのです。この問題を考える人はほとんどいないし、この問題に責任を感じる人もいません。

初めはこのアイディアとインターネットを結び付けようとは思わなかったのですが、何年か経つうちに、もしかすると難民にとって他の難民について学ぶ可能性があるのではないかと思いました。人々が難民と接するためにインターネットを使うなら、領土を越えた何らかの組織をつくることができるのかもしれないと。テクノロジー的な政府を作る事が本当にできるかもしれません。

これらのインターネット技術は我々にとって役立つ物ですが、私たちはすでに多くの物、伝達手段、移動手段などを持っています。しかし難民には全ての面で制限がつきまといます。住んでいる場所も限られ、移動はできず、外の人々との通信手段もなく、学ぶすべもないなど。難民はあらゆる境界に苦しんでいます。そして、境界のないインターネットから得る物が沢山あるのではないでしょうか。

続きを読む ...

【ボランティア募集】翻訳・編集ライターを募集中です。詳細はメールでお問い合わせください。
MoMA STORE