インゴ・ギュンター

PEOPLEText: Eriko Nakagawa

テクノロジーがあなたの作品のキーワードという気がしますが、インターネットについてどう思いますか?芸術にとって特別な長所や短所はありますか?

テクノロジーは私の作品のキーワードではないと言っておきましょう。単にそれは誰にでも利用可能な物であって、私にとってもそうです。私はテクノロジーの可能性を楽しんでいます。何かをするにあたって可能性を広げてくれるのですから。テクノロジーはバックグラウンドにあるもので、テクノロジー自体がメッセージになるべきではないのです。多くのアーティストにとって、テクノロジーを使う事が全面に押し出され、メッセージの中心になっていますが、私はそういったことには関わりはありません。インターネットを使うためにインターネットを使いたくないのです。

インターネットでアートを使うからインターネットアーティストだと言えるでしょうか?昔私はビデオ・アーティストと位置付けられていました。当時それがファッショナブルでしたが、ビデオ・テクノロジーがなくなった時、自分も死ぬのだということが心にありました。テクノロジーその物と結婚してはいけません。テクノロジーは常にその「できる事」と「できない事」によって定義されています。芸術家がテクノロジーを用いる時は、本来の使い方ではなく目立たない方法で使っています。時に我々はテクノロジーの意味を分析するのです。それは全く異なった使い方で、システムのできない事や欠陥、誤りを利用しているのです。

ビデオの芸術的質というものは芸術家達に利用されて来たのですが、それはビデオが新鮮であったからではなくビデオがある種の質感を持っていたからです。カメラを素早く動かすと映像はボケ、色彩は変化します。その様なことが使われて来ました。それは、システム的な短所です。まったく違う使い方、メディアにとっては不利になればなるほど、芸術的に面白いのです。

インターネットが重要な役割を果たしていると思いますか?

答えるのは難しいです。確かにすでに存在している芸術の経済機構を破壊しています。新しい技術が生み出され、芸術家にとって新しいメディアはエキサイティングです。しかしインターネットは登場したけれども、芸術家にとってまた他の誰にとっても新しいエコノミック・モデルは登場していません。インターネットは新しい表現を可能にしますが、観客が誰なのかまだ分かりません。インターネットあるいはネットワークベースのアートをどのように売れば良いのかまだ解からないのです。


Worldprocessor Installation. Tokyo, 1989.

ワールド・プロセッサ」は素晴らしい作品ですが、調査しデータを視覚化する過程、あるいは作品を作った後でショックを受ける事はありませんか?私自身「核爆発」といった作品に衝撃を受けたのですが。

毎回驚きます。 2000もの核爆発ですよ。全く考えもしませんでした。一番初めは日本、それからアメリカとロシア。忘れていたのですが、イギリスも核を保有していますね。彼らはオーストラリアで実験をしたのです。それからフランス、ムルロア環礁で実験をし、その前は植民地だったアルジェリアのサハラ砂漠でした。地球がこんなに多くの核実験で汚されているのを知るのは本当にショッキングでした。これは統計を視覚化するとハッキリと現われてきます。

しかし、こういった事がとても詳細にリポートされていても、誰も全世界的な状況を理解していません。私の作品は実際に起こった出来事のバックグラウンド・インフォメーション、あるいはリファレンスとみなされています。事実関係や立体的であるというのは大切です。雑誌や新聞、テレビなどではそれが欠けていると思います。私はいつも自分が驚いた事を作品にしています。

そういったデータを視覚化する上で気をつけていることはありますか?

ええ、もちろん。とにかく人々がこれが一体何なのか簡単に、そしてできるだけ明確にしようと努力しています。沢山の説明なしでも明確なものにしています。少々の説明をつける事はありますが、できるだけシンプルにするよう努めています。

もう一度芸術の定義を述べるなら、芸術がひどく複雑になってしまったら、それは芸術家もしれないし、そうではないかもしれませんが、基本的にはできるだけシンプルにしなければならないと思います。芸術はほんの少しの事で多くを語らなければなりません。そういった意味で、芸術は経済学とも結びつきます。コミュニケーションの経済。たった一言が全てを語るのです。私にとってそれが芸術です。適切であればほんのちょっとの情報でいいのです。

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