アイ・シー・ア・ディファレント・ユー
PEOPLEText: Miki Matsumoto
双子のイノセントとジャスティス、そして親友のヴヨの3人で構成されるアーティストコレクティブ「I SEE A DIFFERENT YOU」。3人の故郷であるソウェトの街は、南アフリカ最大のタウンシップ(黒人居住区)として知られている。「どんなことにもネガティブな面とポジティブな面がある。僕たちはポジティブな面を見るようにしているんだ」と語る彼らは、2011年にグループを結成し、故郷の町やそこに暮らす人々を撮影した写真を、インターネット上で発表し始めた。
今回、ファッションブランドであるDIESELが展開する「STUDIO AFRICA」(*1)キャンペーンに抜擢され、渋谷のDIESEL ART GALLERYで展覧会を開催することになった3人に、作品にこめられた思いや、彼らを創作へと駆り立てる原動力について話を伺った。
「I SEE A DIFFERENT YOU」というユニット名は、とてもユニークですね。「一般的なメディアイメージとは異なる、ソウェトのポジティブな姿を捉える」というコンセプトで活動していると伺っていますが、「(I SEE A DIFFERENT) SOWETO」ではなく、「YOU」という単語を用いたのは何故ですか?
ヴヨ(V):「I SEE A DIFFERENT YOU」というフレーズは、僕たちだけが所有しているわけじゃない。それはあらゆる人に、異なる視点をもってもらうためのものなんだ。
イノセント(I):もし「I SEE A DIFFERENT SOWETO」と言ったら、僕たちの活動が表現しているものを、ソウェトで起こっていることに限定することになるよね。僕たちはソウェト出身だけど、アフリカ人でもある。作品に関しても同じで、特定の人や地域について表現しているかもしれないけど、より広い括りに回収することもできる。作品ではそういうことを表現したいんだ。
ジャスティス(J):よりグローバルなことを扱うためにね。僕は自分たちが地球市民であり、世界のどんな場所でも自分たちの考えや感情を表現することができると信じている。例えば、僕たちは今東京にいて、写真を撮ったり、それをインターネットにアップロードしたりしているけど、それはきっと、君たちが見ているのとは異なる東京の姿だと思うんだ。
© KENJI TAKAHASHI
「ソウェト」という地名は、日本の若者にあまり馴染みがないかもしれません。メディアが伝えてきたソウェトの「歴史」を、鑑賞者には把握しておいてほしいと思いますか?
V:大抵の人はアフリカについて考える時、きっとネガティブなイメージを持つよね。僕たちはずっとアフリカで生活してきたけど、アフリカ以外の国や地域からやってきた人達が、そういった写真を撮るのを見続けてきた。でもそれは僕たちにとってのアフリカじゃない。僕たちの目を通して見たアフリカはもっと美しいもので、僕たちはそれを世界に見せたいと思ったんだ。
I:歴史はとても重要で、常にそこにあるもの。もちろん忘れることはないよ。だけど僕たちは、これから先へと進む若者、つまり未来そのものでもある。だから僕たちはアフリカが昔どうだったかではなく、アフリカの今を世界に示したいんだ。
J:僕たちの歴史はとても大きい。それは1976年に起きたソウェト蜂起(*2)とか、そういったことだけじゃない。例えば人々が自由に着飾ったりとか、もっと郷愁的なことも含んでいる。そしてそういったものこそ、僕らが守りたいものなんだ。人生にはネガティブな面とポジティブな面があるけど、僕たちはポジティブな物語を伝えることを選んだ。メディアに溢れている、争いや貧困といったネガティブなイメージに対して、僕たちは美しい人々の豊かな歴史を取り上げる。
*1 「STUDIO AFRICA」はアフリカの創造力を世界中に伝えることを目的とした「DIESEL+EDUN」のグローバルキャンペーン。ファッション、映画、音楽、写真など様々なフィールドでアフリカの発展のために積極的な活動を続ける、才能溢れる9人の若手アーティストを紹介している。なお、「DIESEL+EDUN」とは、DIESELの創始者レンツォ・ロッソ、世界的なロックバンドU2のボノ、そしてボノの妻でありファッションブランドEDUNの設立者アリ・ヒューソンによるコラボレーションプロジェクト。コレクションを通じてアフリカ大陸に持続可能なビジネスモデルを創出するという理念に基づき、アフリカの素晴らしいデザインや創造力を目に見えるかたちで世界へ発信することを目的としている。
*2 1976年に起こった、アパルトヘイト政策時代の大惨禍として知られる出来事。当時の政府による、アフリカーンス語(オランダ系の住民が使う言語)を学校教育に導入するという決定に抗議した若者たちに、軍隊が無差別に発砲したことで多数の犠牲者が出た。この事件はアパルトヘイト政策への大きな国際非難をもたらし、政策撤廃へと国内外が動き始める一端ともなった。
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