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サラ・チラチ

PEOPLEText: Ilaria Ventriglia

では、UFOの存在を信じているのですね。

『はい。信じています。興味があるのは、その存在に対する正しい見方が、新しいイメージのコレクションをどのくらい生み出すかという事ですけどね。エイリアンの信念における、何か神秘的なものがあります。怖れと希望が、クリスチャンの信仰のように投影されているのです。神の与えた罰に対する怖れと、永遠の救済に対する希望です。』


Sarah Ciracì, Not Even Background Noises (Concrete Desert), 1996, Digital print, 100×120 cm

サラ・チラチは、砂漠シリーズを「Not Even Background Noises(背景の雑音にもならない)」(1996年)と名付けている。これは、これらの場所静かなことと、空白だらけであるということによる。このシリーズは、彼女が撮影したり、時にはカタログや本からのプリントを用いて、修正を加えた空間から身体的要素を引く事を増やす過程において発生した。ある身体的空間との関係は、重要では無い。テリトリーというよりもむしろ、地理的な思考を照らしているのだ。目に見える事はないように思えるにもかかわらず、人工的なものに対し平和を求めるという強い傾向と同等の、個人的な言及点を見つけるための、隠喩的な場所として行き着いている。

ジェームズ・グレアム・バラードの「残虐行為展覧会」のような本を読む。産業資源によって作られた場所での物語は、有利に進んできた。しかしバラードで読み取るような、技術的な物神崇拝を、傾向の中から減じてきた。

『おそらく、風景を修正するという考えは、私の生まれ育った都市に関係があるのでしょう。タラントでは鉄工業が盛んで、素晴らしいスケールの夕日を見ていました。自然と人間の関係です。有毒なガスが、光との関わりあいのなかで、言葉に表せない色調を生み出しています。たとえ、汚染されているガスだとしても。』


Sarah Ciracì, Not Even Background Noises (Rubber Desert), 1996. Digital print, 100 x 120 cm

彼女は、リドリー・スコットが1982年の映画「ブレード・ランナー」の基にした、フィリップ・K・ディックの有名な著書「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の事について話してくれた。その本は、人間が家畜を所有することに対して抱く、巨大な欲望を説いている。古典的なペットの不足によって、電動の羊を開発することになるという展開で、それがタイトルにもなっている。

人工物と自然物の境界は、いつも西洋の伝統の中にあった。そして、私達の時代の文化がそれを維持するのが不可能であるのを認めるようになるまで、大きな哲学的テーマとして思考されてきた。自然は、触れることのできない秩序として保存することは不可能だった。そしてサラ・チラチにとっては、これは人工物の言い逃れの決定的なものだ。彼女の風景は、他の手段としてある、現実のコピーのようなものなのだ。まるで彼女が、自然の色を合成の色に変え、自然の要素を人工的な要素へと変える生体工学的な目を通して、世界を見ているようだ。


Sarah Ciracì, Question of Time, 1996, Metal drills and wood, dimensions variable. Installation view at Fondazione Sandretto Re Rebaudengo

彼女の作品に流れる空気はいつも、黙示的な独特の味をもっている。あたかも、核破壊後の情景であるかのようだといってもよい。つまり、ミレニアムの悲劇のその後を思わせるのだ。「Question of Time(時間の問題)」(1996年)は、トリノ現代美術館で開かれたカンポ6展のために制作された作品だ。地下からそびえる2つのドリルが、鋪道を掘っていく。これは、解決できない不安の感覚をもった作品の一つだ。ほかの作品では、シーンに関わらず確かな平和があるように思われる。そして、調和的ともいえる雰囲気を捉えている。

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