竹村 京 展「見知らぬあなたへ」

HAPPENINGText: Yu Miyakoshi

竹村 京(たけむら・けい)の個展「見知らぬあなたへ」(タカ・イシイギャラリー・清澄白河)の開催とともに、ベルリンを拠点に活動するアーティストの想いが綴られたテキストがリリースされた。そこにあったのは、等身大で制作に向き合う作家自身の姿だった。

子供を産んだ時のことです。飽きる程の痛みを経てから、突然、だまされた!と思ったのです。産む行為は一番生に近い行為だと思って張り切っておりましたが、自分が一番死に近い場所に立たされているとそのとき知ったのです。
あの地震の日。夫の仕事で一緒に東京の実家に帰って来て二日目のお昼過ぎでした。あんまり激しく家が揺れたので息子を抱きかかえて外に出ました。家の前の木は驚く程揺れていました。
毎日ものすごい破壊の映像がテレビを流れました。ベルリンに帰ってから沢山の被害の写真を見ました。ドイツの新聞や雑誌には亡くなった人の体の写真が壊れた街を背景に載っていました。写真には撮られた人の魂が何かしらこもっているとなんとなく信じている私には知らない人の体をそういう形で見ることは信じられないことでした。
それまでは知っている人々の人生に興味がありましたが、あの瞬間を通ってから知らない人々の人生に興味がつながりました。ベルリンで近くの市場に行って、知らない人々が撮られた写真を集めました。知らない人たちが写真に撮った風景は1920年代から80年代まで様々でしたが、なぜか私の知っている風景と重なりました。― テキストは一部中略して引用

震災後に竹村氏がとった行動は、ベルリンの市場で写真を買い集め、そのイメージを元にドローイングを描き始めたことだった。それ以前の竹村氏にとって、亡くなられた方の姿というものはごく近しい人のものであったはずで、報道にはかなり動揺させられた。だがそれと同時に、湧き起こったのは、見知らぬ人への愛情の気持ちだったという。

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“prosaic verse” (detail) 2011. Courtesy of Taka Ishii Gallery. Photo: Kenji Takahashi

その想いから描かれたドローイングが、今回の展示で紹介されているシリーズ「prosaic verse」となる。
震災後の「何もなくなってしまったような感じ」は、白地に代わって黒い背景になり、その上に白いインクで、既視感を感じたイメージを配置していく。眼鏡をかけ首をかしげた男性、背を丸めた猫、空き瓶に生けられた花―― 何気ない日常のシーンが浮かび上がり、また新しいイメージとなって再生される。

数点のドローイングの他に、市場で集めたオランダやベルギー、イタリアなどの家具も配置されている。家具を配置したのは、見知らぬ人たちの生活にふさわしい場を作りたかったからだったという。
『彼等が見ている日常の美しさを共有できる状態が作りたかったのです。私にとっては、何かの感情を共有できるということが美しいということなので、コミュニケーションの可能性がある場を作ると言ってもいいかもしれません。』

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“prosaic verse” 2011. Courtesy of Taka Ishii Gallery. Photo: Kenji Takahashi

今回の作品を作るまでは、市場で売られている写真は恐いものだった。日本では写真を額に入れて飾る習慣があまりなく、それはしばしば仏壇や祖先の写真をイメージさせるものだったからだ。その写真を元にドローイングを描いていく作業は、黒地に光を与え、描いている人の死すらも、同じ空間に存在することを肯定するような作業だった。
『死んでても生きていても、そこに存在するものは全て「在る」ということを認めたいと思ったのです。今、みんな平行して生きている。それで恐いと思うよりは「皆さんご一緒に」という想いで描いていたら、市場で集めた写真が恐くなくなりました。』

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