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竹村 京 展「見知らぬあなたへ」

HAPPENINGText: Yu Miyakoshi

写真のジャンルに「ファウンド・フォト」というものがある。その定義はその時々によって拡大するようだが、主に蚤の市などで発見された写真、またはアーティストによってプレゼンテーションされ、ビジュアル・アートとして再生されたものたちがそう呼ばれている。
「prosaic verse」は、竹村氏にとっての「ファウンド・フォト」を元に作られたインスタレーションだ。竹村氏は震災という出来事を通して得た衝動を、直接的な引用ではなく、身の周りのものへの興味へと広げ引用する、という方法で表現することを選んだ。

そこで竹村氏が表現したかったことは、行き場のない魂が着地し、共感し合う場を用意することだったのではないだろうか。その表現の礎となっているのは震災時の報道で目にした亡くなった方への追悼の意であり、喪に服する気持ちであり、そこから生まれたのは、自らの生活の場から等身大で表現をしていこうというアーティストとしての決意だった。また、その「場を作る」という行為は、竹村氏自身の居場所を探る行為であったようにも思う。外国に暮らすということは、自ら場を再発見しない限りは、行き場のないものだ。竹村氏は、そうした境遇や、震災時の報道や市場で見つけた、全ての行き場のないものに対して、居場所を提供したかったのではないだろうか。

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“between tree, ghost has come” 2011. Courtesy of Taka Ishii Gallery. Photo: Kenji Takahashi

ギャラリーの天井に届く大きさの「between tree, ghost has come」という作品にも震災後の大きな変化があった。背景に使われた写真に竹村氏の実家と祖母の家、その間に茂る大きな木がコラージュされ、上にはオーガンジーのような透ける素材の布が重ねられている。

竹村氏は過去の制作スタイルを振り返り、『かつては「もの」は移動するだけだと思っていました。刺繍も糸をとってしまえば、元に戻るという状態がベストだったのです。作品は「もの」を移動させるということだけで成立していました。』と語っている。そこには、ありのままの美しさをそのままにとどめておきたい、そのまま生かしたい、という美意識があるように思う。だが震災後、竹村氏は初めて布を染めるという工程をふんだ。
『以前は、布を染めたいという気持ちが皆無でした。でも東京に滞在していた時に原発事故があって子供のことを考えた時に、外に出すのが凄く恐くなりました。その時にはじめて空気の存在、空気の汚れにリアリティを感じるようになって、それを表すには布を染めるという方法がわかりやすいと思ったのです。』

「ものを移動させ作品を成立させる」と語っているように、竹村氏の制作スタンスは、移動させ集めること、引用すること、模することに基本がおかれている。とりわけ「模する」というアクションが、竹村氏の制作スタンスを象徴している。竹村氏は「May I enter?」=あなたの中に入ってもいいですか?という意味のパフォーマンス活動を行っており、友人や知人の生活している姿を観察し、その所作を模する。透明な存在である竹村氏は、対象に同一化していく過程の中で、内なるものと対象の間にある境界を、自らの表現へと変えていく。そのように自らのフィルターを通して模する、という行為が竹村氏の表現の根本にあるように思う。
そうして集め並べた模倣と模倣の間、収集物と収集物の間に、もう一つの現実が作られていく。このようなスタンスで制作を進めてきた竹村氏が、素材自体を変色させる工程を取り入れたことは、大きな変化だった。

「between tree, ghost has come」を見ていると、グレーの色調の中に、多様な色の幅が見えてくる。それはモノクロームの夢と言われるものに似た鮮やかなイメージであり、意識の中で認識している色の感覚に繋がるものなのではないかと思う。例えば、全盲のピアニストの辻井伸行氏が「青が好き」と言っておられ驚嘆したことがあったが、意識の中には、音や匂い、肌触りといった様々な感覚が生じさせる色彩のトーンといったものがあるのではないかと思う。竹村氏の見せるグレーには、わかりやすい色を限定しないゆえに、色の感覚を解放するような透明感がある。

布の上には、刺繍がほどこされている。刺繍では「仮に」という状態を作りだすことを意図しており、千年後にも残したいイメージを縫うことにしているという。『奈良県の中宮寺に飛鳥時代から伝わる「天寿国繍帳」という刺繍がほどこされた作品を見た時に、千年以上も前の刺繍が現存しているということに感銘を受け、次の千年に残したいイメージを縫いたいと思うようになりました。それから、絹糸は虫を殺しているので、命の転換なのです。だからどうでもいいイメージは縫ってはいけない、という責任感を感じて縫っています。』

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“Renovated K.Tʼs coffee cup”. Courtesy of Taka Ishii Gallery. Photo: Kenji Takahashi

また、縫うという行為は、2000年ごろから続けられている壊れものの修復シリーズにも見られる。割れた陶器を布で包み、その表を絹糸で修復するかのように縫う。このシリーズではドローイングのような饒舌な一面は姿を消し、あくまでも「ものが壊れた」という日常的な事件、事実に基づいて制作されている。

『捨てるだけだと、壊れた悲しさしか残らないのが嫌なのです。「何かを嫌う」というのが私は嫌いで、どんなものでも、どこかいいところあるのではないかと思うのです。」と語る竹村氏の目は、日常の全編――ふとした出来事や何の変哲もないものたちまで――に注がれる。このシリーズの制作は現在も続いているのだが、当初から変わらぬ一定のスタンスに基づいて制作されており、竹村氏の生活と共にある、日常のデッサンのようなワークといえる。

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