ネクスト 02

HAPPENINGText: Tomohiro Okada

本当に起こっていること、あるに違いないと確信していて無意識に探しているもの、そういうものになかなか出遭えない不幸は度々強弱は別として日常の中に存在している。その不幸が同じことで多くの人に重なると、期待していた対象に裏切られた気分で鬱陶しいものになってしまう。東京のメディアアートシーンはまさにその不幸に見舞われている。

「メディアアートはつまらないし鬱陶しい」そういう声は、日常会話での決まりごとのように普通の認識になってしまっている。ロンドンやニューヨーク、リンツや台北などで、イイ! 新鮮!と呼ばれているものもホームグラウンドでは、鬱な存在なのだ。その不幸はオーディエンスだけでなく、多くのアーティスト自身も認識(まさに海外で力が認められた人は特に)し始めている。

出遭えるようにすれば不幸はどこかにいってしまう。そして、今までの東京になかったアートイベントが始まった。

今、電子メディアをつかった日本の芸術家たちは、これまでになかったアプローチによるオーディエンスや社会とのコミットメントを開発しようとしている。現代芸術の発想法から生まれた生立方体のロボットの開発(椿昇)、電子工作教育玩具の開発(森脇裕之)、マルチプルな造形作品になるTシャツ(クワクボリョウタ)など、コンセプチャルなものから日本で今一番必要だといわれつつある科学教育、それにデザインや雑貨まで、アーティスト自身がセルフプロデュースを行うことが、美術館やギャラリーで展開して行くのと同じ重み、ときには現実との係わり合いを求めることを意図することでそれ以上の重みを持った活動としつつあるのだ。このコミットメントを求め、開発し、新しい活動の回路と基盤を開拓するために、作品やプロジェクトに語らせるのでなく、自身が抱えている構想やアイディア、そしてそのリアリティーをオーディエンスに直接働きかけたいという意欲が、この脱ホワイトキューブのフロンティアを見出し始めた日本のパイオニアたちに芽生え始めている。

「売り言葉に買い言葉」という諺が日本にはある。ブレークスルーしそうなことには対象である人々も同様の気持ちを持ち、自ずから活発に流通するというこの意のように、アートを求めるオーディエンスも、今までのようなある種のプレッシャーを必要以上に感じさせる現代芸術の中のホワイトキューブの中だけではない、アーティストそのものの才気に触れ、日常の中に在りたいという気持ちを持っている人が少なく無い。アートに対してある種の鬱屈した気持ちを持つ人が多い中で、一方で、デザインを好み、日常のあらゆる局面にデザインを求める人々が多い日本の現状は、言うなれば出遭いを求める人々の声なき要望の多さの反映でもある。息づかいがし、共感できたり、自身の文化の糧となるアートをささやきかけてくれるアーティストとのであいを待ち望んでいるのだ。

「メディア芸術家が持つそのプランはオーディエンスに働きかけることによって活きてゆく」、「そしてオーディエンスは魅力を実感できる理解と思考の場を求めている」この、可能性と欲求、そして説得力が生まれるメルトダウンの機会こそが、不幸を溶き、知的な幸福感と、オーディエンスとアーティストそれぞれが参加者として新たなリアリティーを作り出して行く創造的参加のマイルストーンになるのではと、私はその新しいアートイベントの「デザイン」に着手した。

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