エレクトリカル・ファンタジスタ 2008
HAPPENINGText: Tomohiro Okada
グローバル化の中、殺伐とした現代社会にあって、情報と心によるもうひとつのグローバル化が起きつつある。私達にとっての愛しいクリエイティブ、愛しいアート、そして愛しいテクノロジーを、わたしたち自身が探して、「発見」できる幸せな体験が始まろうとしているのだ。今、みなさんがSHIFTをご覧になり、そして評判を発信しあえるように、与えられた情報で「見ろ」「買え」とせかされるのではない、様々な基準や経験、価値観をもった「私達」が、自らにとっての価値を「発見」し、その魅力が様々な場で語られることによって広がる多様な世界が生まれている。巨大なミュージアムやマーケティングという権威によって価値が生まれるアートやクリエイティブから、様々な私達の目線の集合知によって「愛おしさ」が「発見」されるかたちへ。そんな新しい時代において、「発見」できる場として、私が送り出した展覧会がこの「エレクトリカル・ファンタジスタ」である。
日本の首都と世界を結ぶ港のある街として成長してきた横浜。その記憶を残す昔の政府のオフィスビルをこの展覧会の会場にした。80年の記憶を残すひとつひとつの部屋に、テクノロジーを個人やグループの手で、大企業のマーケティングでは追いつかない、少し先の未来を感じさせる体験やものに実現させた作家、すなわち個人のタレントで場をつくれる電子の「ファンタジスタ」たちによる作品を展開している。この場所は、ファンタジスタたちがつくる未来を体験するワンダーな空間。だから、作品を黙って見るのではなく、実際に体験したり、また作品のある空間を囲んで談笑したりできる、ワンダーな日常のたのしみがここにあるのだ。
最新の技術や技巧を競い合うトレンドが席巻するメディアアート。都市やライフスタイル全てがサイバー化した現在、それだけでいいのだろうか?メディア化する生活の中で感激するもの、愛しいものを探したい。その探求から生まれた、より丁寧で美しいメディアアートを生み出す世代による作品が生まれている。
WOW「PolarCandle」
19世紀、映像メディアが世に出てきた時代、騙し絵という携帯の表現がヨーロッパの巷を騒がせた。騙し絵の中でも代表的な不思議な模様が円筒状の鏡に結像することによって絵画となる作品。それがモーショングラフィックになって出現させた「PolarCandle」は、繊細なコンピュータグラフィックスで人々を惹きつけるプロダクション「WOW」が、その美学をコマーシャルワークではない全力投球で問うメディアアート作品シリーズの最新版だ。
真壁 友+チムニー「Sometimes I’m Happy」
小さなクリーチャ-「チムニー」がターンテーブルで踊る、コマ撮りアニメーションの小さな世界「Sometimes I’m Happy」は、真壁 友が装置をつくり人形をチムニーがつくった作品。幾つもの踊りを見せてくれる、ふと愛らしさを感じさせるリアルなアニメーションのステージが並ぶ。
田部井 勝「like the clouds, like the rivers」
ロボットは人型である必要があるのだろうか?ロボットも当たり前になった今、ファンタジスタたちはいろいろなアプローチでロボットをつくる。田部井 勝がつくる「行雲流水」は石である。自然を崇める日本の根源的な意識そのものに綱で結わわれたその石は、荒ぶる神のごとくフロアを徘徊する。そこには意思は存在しないが、ただ転がるその石に自然の神を感じさせるのは気のせいだろうか?
チームラボ「Always watching you」
目に宿る霊性をロボットとして作品にしたファンタジスタもいる。オモロ指数によってお勧め検索を実行する純日本産サーチエンジンを「さぐーる」などを手がける、ウルトラテクノロジスト集団「チームラボ」。そのテクノロジーを余すことなく伝達する手段としてメディアアートの開発を続けている。
ロボットによるエンタテインメントの可能性を追い求めたのが「いつも見てくれているよ♪」。壁面に埋められた幾つもの目玉が私たちを凝視する。凝視した目玉は、映像に映りこむ影となって人魂や幽霊に変化し、あの世から私たちを見守るのである。チームラボは道具としての道具ではない、サイバーワールドまでも含めた私たちの世界の中にある表象としてのロボットを現出させようとしているのだ。
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