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アートデモ 2003

HAPPENINGText: Tomohiro Okada

日本人にとって海外のメディアアートやデザインシーンが出展や取引としてのコミュニケーションでしか強く成立することがないような遠い存在であるように、今もなお、ヨーロッパのアーティストにとっても日本は付き合いたくてもやはり取引としての回路しかない、より遠い存在であり続けてきた。ところがお互いに様々なかたちで受信している刺激の日欧間での総量の膨張は取引だけに済まされない、コラボレーションしたいという欲求を急速に高めている。その欲求の堰を日常的に誰が切るのか?

メディア芸術がビジネスや社会を魅力的に刺激する回路を仕掛け続けるアートデモが、東京で3月に開催された文化庁メディア芸術祭を舞台にその堰を切る実験をしてみた。

メディア芸術(メディア・アート)という、日本でしか存在していない言葉がある。メディア上での芸術表現全般を意味するこの言葉は、メディアアートのみならず、映画やテレビ番組、それに漫画までをも含んだアートを指すものだ。もとからあった言葉ではなく、日本に戦後、やっと生まれた文化庁が政策のために顕在化させた言葉である。

そのメディア芸術をハイテクの国、日本の文化として盛り上げるため、文化庁が提唱して、メディア芸術祭というフェスティバルが開催されている。

一昨年、日本を文化の国にしようという目的で文化芸術振興基本法という法律が生まれた。それ以来、この芸術祭の規模が急激に拡大、3月に開催された第6回目のメディア芸術祭は、デジタルアートの部門(インスタレーション、CG、ウェブ、ゲーム)で多数の日本外からの応募を受け入れ、いきなり国際的にも大規模なフェスティバルへと装いを新たにした。

どんな物でもこの街では設計図1枚まわすと、翌日には0から部品が作られ、組みあがってしまう。こんな逸話で代表されている、ハイテク町工場が立ち並ぶ東京の品川と大田区。この何でもできてしまう、おじさんたちに支えられた巨大なドラえもんのポケットのような街の中の商店街をメディア芸術祭インタラクティブ・アート部門大賞のクリスピン・ジョーンズがロンドンから連れてきた取引先の同僚と歩いていた。お目当ては、日本で一番会いたかった人物との対面である。

商店街の片隅にある町工場、そこが目的地。マネージャーに誘われ、不意の来客に対応したのは明和電機の社長である。ジョーンズは受賞作品のデモを社長にしながら、ハイテクものづくりと結びついたアートのかたちの多くを明和電機からインスパイアされたことに謝意を告げていた。

デザインによって問題を解決し、新たなビジョンを現実のものに開く。デザインでビジネスに、必要とされてきた機能の実現やヒット商品を生み出す、ブレークスルーを地球規模で与えてきたカンパニーIDEO。ジョーンズの取引先とは、そのIDEOのスタッフ。デザインやアートをビジネスの問題解決に活かし、その結果がジョーンズの作品になった姿と他の作品やプロジェクトには社長もまた、自社の戦略と重ね合わせるかのように関心を寄せていた。

ところがそれよりも社長が関心を寄せたのは、もう一人の同行者である後藤富雄の存在であった。アートデモのキーマンである後藤は明和訪問の前まで会ってそのまま同行したもの。昔働いていたNECでPCエンジンの開発者として知られていた後藤が会話中に取り出した、大田と品川区の町工場から生まれる至宝に皆の目が輝く。ワンチップのチューナー、接着剤無しで強固にくっついた鉄とプラスチック、インクフリーの精密写真スタンプなどなど、後藤が今、フリーの立場で町工場とビジネスをつないで売り込んでいる技術を見る中で、想像の中にあるプロジェクトのキーの可能性を後藤が見せた町工場の創造性の中にあるのでは無いかと考え始めたのである。

アートデモとは、メディアやテクノロジーを用いたアーティストが、限られた時間というルールの中で、自身のプロジェクトのモデルをデモンストレーションすることで、作品や評論という今までの芸術としてフォームが既に決まってしまった鑑賞や評価方法ではないかたちで新たなコミュニケーションの回路を開く、デモスタイルのイベントである。
アーティスト自身がデモすることでもたらすことのできる説得力が、アーティストの持つ創造力や問題解決力を示し、ビジネスや社会環境など様々なシーンでその力を求める人々とのつながりが生み出されるのがアートデモである。

2回目を迎えたアートデモ。そこで初めてデモの舞台に立ったアーティストこそ、ジョーンズであり、IDEOのデザイナー、グラエム・プーリンである。

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