アキール・フーニ

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「もしフォームがなければ、それは人生がないことと同じである」。これがアキール・フーニが彼自身の絵画において、オブジェクトの実直な意義、そして色の中での圧倒的なライン、物体の静かなる証明として、それ自身を表現する触れることができる固形のボリューム、彼の芸術活動における発展と、伝統的なものと現代的なものの間にある継続的なフォーミングにおける性質になりうる特徴を理解する方法だ。


Achille Funi, Genealogia (Genealogy), 1918

ヴァージリオ・ソクラッテ・フーニという本名をもつ彼は、(「何故なら神話学は歴史より信憑性があるからだ」という理由で)神話学的で詩的な名前として、アキールと名乗った。画家である彼は1890年にフェラーラで生まれ、コモの近くのアッピアーノ・ジェンタイルで1972年にこの世を去っている。今日、彼自身と彼の作品は、エレナ・ポンチッギアとニコレッタ・コロンボの企画によって、ミラノにあるザ・スパッツィオ・オバーダンでのエキシビジョンにて展示されている。エキシビジョン開催までには、精密な調査が行われた。「アーティストとミラノ」というサブタイトルがついているこのエキシビジョン。海外旅行日記シリーズを通して、またはザ・パラッツォ・ディ・ギウスティッツアやバンカ・ディ・ローマ、テアトロ・マンゾーニのような、街にある多くのビルのデコレーションと同様にキーサ・ディ・セイントアンジェロ・デイ・フラティ・ミノーリとキーサ・ディ・サン・ジョルジオ・アル・パラッツォ等の巨大なフレスコ画とモザイク画を探究するこのエキシビジョンは、アキールと街の関係に視点をおいている。彼がミラノに住居を構えたのは1906年のこと。その時の彼と街との関係は近しいもので、ザ・アカデミア・ディ・ブレラとの繋がりによって更に深みを増す。最初はここの生徒だったアキール。しかし、いつしか教鞭をとるようになり(モルロッティ、カバリエール、アダミを含む多数の生徒を教えた)最終的には、ディレクターにまで昇進した。昇格にしいたげられながらもファシズムの下、この仕事を楽しんだアキール。長く続いた無名時代を経て、彼は今再発見されたのだ。


Achille Funi, Marinetti, lussuria, velocita (Marinetti, lust and speed), 1913-14. Photo Vasari, Rome

インテリジェンスと共に20世紀において最も重要とも言えるムーブメント「未来主義」(ヌーブ・テンデンゼ、1913年〜1914年)を起こしたフーニ。それはちょうど彼が自ら第一次大戦への募集兵にマリネッチ、シローニ、ボッチオーニ、ルッソーロ、セイントエリアと共になった時で、かの有名なバタグリオーネ・シクリスティであった。これは後に20世紀のイタリアでの20年代から30年代への古典主義に続く。「オーダーするために舞い戻る」という空気の中、理想主義の完璧さと美しさに惹かれ、ボディの再製作に夢中になった。常にかなり極めた伝統的なやり方で活動していた彼は、たとえ未来主義の期間が、彼が好む空間の発見と製作におけるモニュメンタルに対する傾向を兼ね備えた、抽象作品への容積的なコントラストのテンションにおいて没頭されていても、幾何学を様々な構成の基本として、またドローイングを製作のカギ、あるいは中心となる方法として学んだ。長い壁画の時代が続き、1933年、彼はマリオ・シローニと共にザ・マニフェストとサインを交わす。同じ年にはカーラ・シローニ、デ・チリコ、カンピグリ、カグリ、セベリーニと共にモンザのヴィラ・リールで行われたザ・V・トリエナーレ・ドアルテ・デコラティヴァに参加。ミラノの女性が非常に好んだ芸術的な雰囲気が漂う時期があり、これは社会のコミッションと建築とデコレート的なアートについてのディベートを、ますます活発的なものにしたトリエナーレの展覧会のおかげであった。


Achille Funi, Umberto Notari nello studio di piazza Cavour a Milano (Umberto Notari in his studio in piazza Cavour, Milan), 1921

このようなイベントに多々参加することは、当時ではカルチャーシーンのメジャーなカタリストのひとつでもあった。アートのルネッサンス的概念を受け継ぎ、偉大でもあり知的な実験者でもあったジオ・ポンチに(ミラノでのエキシビジョンでは、アート・デコ時代に製作されたマジョリカ焼き、家具、デッサン、ドキュメント等幅広い作品を展示している。当時ポンチは、エレガントな空気を漂わせていた巨匠であった)フーニは、ローマのパラッツォ・デル・リトーリオのコンペティションで再度挑戦を挑む。マッシモ・カンピグリとの付き合いによって生まれたこれらのコラボレーションは、体制と理知の曖昧な関係に関する難しさと不器用さにもかかわらず、当時の実りの多い雰囲気の重要な証明なのである。

Text: Ilaria Ventriglia from Domusweb
Translation: Sachiko Kurashina

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