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デ・キリコ展

HAPPENINGText: Alma Reyes

1910年にフィレンツェに移ったデ・キリコは、ある日、見慣れたはずの街の広場が、初めて見る景色であるかのような感覚に襲われる。これが形而上絵画誕生の「啓示」となった。「イタリア広場」のシリーズはその原体験と密接に関連しており、柱廊のある建物、長くのびた影、不自然な遠近法により、不安や空虚さ、憂愁、謎めいた感覚を生じさせる。


ジョルジョ・デ・キリコ《バラ色の塔のあるイタリア広場》1934年頃、油彩・カンヴァス、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館(L.F.コレクションより長期貸与)© Archivio Fotografico e Mediateca Mart © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

その効果は幻想的で、見る人によっては不穏な印象を与えるが、私たちの日常生活の表面に潜む謎、逆説、憂鬱を引き出す。《バラ色の塔のあるイタリア広場》(1934年頃)は新しい色調と軽やかな筆致で描かれ、《イタリア広場(詩人の記念碑)》(1969年)もそのような傾向を例証するもので、画面内のある要素が風景と無関係に浮かび上がっている。《大きな塔》(1915年?)は、いくつかのバージョンがあるが、トリノの美しいモーレ・アントネリアーナを描いたこの画家の代表作のひとつである。


ジョルジョ・デ・キリコ《球体とビスケットのある形而上的室内》1971年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵  © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

第一次世界大戦後、デ・キリコはイタリアのフェッラーラに移り住んだ。ここで彼は、この町の家の室内や店先のショーウインドウなどに魅せられ、それらを無造作に、そして複雑に自身の室内画に取り込んでいった。戦時下における美術制作の制約が、作品のミニマルなサイズや閉塞感に影響しているのかもしれない。《球体とビスケットのある形而上的室内》(1971年)の青いパネルに取り付けられたフェッラーラのビスケットが不思議な存在感を放っている。


ジョルジョ・デ・キリコ《神秘的な水浴》1965年頃、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団蔵  © Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma © Giorgio de Chirico, by SIAE 2024, Photo: Alma Reyes

ジャン・コクトーの著書『神話』(1934年)のため制作された版画連作《神秘的な水浴》は、興味深いリトグラフの数々である。この挿絵は、画家が若き日に故郷ギリシャの海辺で過ごした日々を思い起こさせる。その頃、デ・キリコは、脱衣所の窓から見える、服を着た海水浴客と、服を着ていない海水浴客の明確な違いに衝撃を受けた。デ・キリコは、混沌とした子供時代の記憶と、以前訪れた家の寄木細工の床との間に潜在意識のつながりを見出した。

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