竹岡雄二展「台座から空間へ」

HAPPENINGText: Shuhei Ohata

美術館やギャラリーと呼ばれる空間では、美術作品が展示される事が前提となる。そこでは時に、鑑賞者は落ちているゴミであっても、それを作品として受け止めようとする心理すら働く。だが展示台があれば、その上に置かれている物が作品である事をより明確に示す事になり、ある種の安心感を持って作品を認識できる装置となる。

そういう意味でも、台座は単なる箱ではない。美術館や美術作品に対する認識をより強化させる点で、制度的な役割も担っているのだ。

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《カラヴァッジョ》2007年/個人蔵 Photo: Achim Kukulies, Düsseldorf © Yuji Takeoka, courtesy of WAKO WORKS OF ART

7月9日から9月4日まで埼玉県立近代美術館で開催されていた「竹岡雄二 台座から空間へ」はこうした、美術作品を展示する為の空間や、台座の問題に自覚的に取り組んできた作家による展覧会であった。

竹岡雄二 (1946年-) は1970年代にドイツに渡り、1980年代から本格的な活動を始めている。以後国際的な舞台で活躍しているが、国内の美術館では、国立国際美術館についでの展覧会である。

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《無題》1984年/個人蔵 Photo: Achim Kukulies, Düsseldorf © Yuji Takeoka, courtesy of WAKO WORKS OF ART

会場に入り、最初に迎えてくれる部屋は、竹岡が台座というモチーフを扱い始めた初期の作品が並ぶ。テラコッタでできた高さの無い円筒形の造形物の上に、台座と思わせる箱型の造形物が載った《無題》(1984年/個人蔵)は、明らかに彫刻と台座との関係を転倒させている。同時にテラコッタは何処か飛石のようなたたずまいをしていて、台座が飛石の上に立つ人のようなバランスにも見えてくる。それゆえ、違和感はともなうがバランスが悪いとも言い難いのだ。

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《無題》1984年/個人蔵 Photo: Achim Kukulies, Düsseldorf © Yuji Takeoka, courtesy of WAKO WORKS OF ART

その隣りに並んでいる《無題》(1984年/個人蔵)は、対照的に台座のような構造物の上に花器のようなテラコッタの造形物が置かれている。台座のようなものは何本もの木の角材がむき出しになっていて、それらが柱の役割となって天板を押し上げている。台座の構造をあらわにしつつ、上に載ったテラコッタとの関係を造形的に響きあわせ、彫刻と台座を一つの彫刻作品として成立させようとしているようにも見えた。

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《無題》1986年/国立国際美術館蔵 Photo: Achim Kukulies, Düsseldorf © Yuji Takeoka, courtesy of WAKO WORKS

この二つの作品の流れが台座そのものを彫刻として提示する「台座彫刻」という形へと結びついて行くことを示すかのように《無題》(1986年/国立国際美術館蔵)のテラコッタでできた台座が並ぶ。形体、スケール感、素材のバランスが絶妙で、台座としか言いようのない、独特の存在感を放っている。しかし、台座は作品を引き立てるための、無個性なものが一般的だから、明らかに異質な台座ではある。それでも台座と認識できるのは、美術館やギャラリーと言う空間に私たちが足を運び、様々な展覧会での体験によって、意識せずとも台座の持つ働きを認識している事でもある。

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