エルネスト・ネト展「狂気は生の一部」

HAPPENINGText: Yumino Hagiwara

この彫刻は精子を表わす通路部分と卵子を表わす居住空間という2つの要素で構成されていて、鑑賞者はその中を歩いたり、坐ったり、寝転ぶことができる。そうはいっても、ネトの見事な空間スケールの使い分けによって、実際に中に入っている人は無意識に行為を制限されている。通路は、奥に行くほど徐々に床から離れていくような勾配がついていて閉塞感もあることから人は坐らないし、まして寝転ぶことはない。

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Pedras I, II, 2012, ポリプロピレン及びポリエステルのひも、プラスチックボール、145x240x75cm Photo: Jérémie Souteyrat. Courtesy of Espace Louis Vuitton, Tokyo

しかし、卵子の中に入ったとたんに人は浮遊感の中にも安定を感じとり、坐ってみようという気持ちになってしまう。程よい身体への負荷が与えられることで、精神でなく身体の支配によってより心地いい場所へと進まされているような感じだ。人間の身体感覚と、そこから生まれる行為によって決定される作品内部のスケールは、環境芸術家フレデリック・キースラーが胎内彫刻の手法を建築空間の概念モデル(エンドレス・ハウス)へ適用したこととどこかリンクしているようにも思う。

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A vida é um corpo do qual fazemos parte, 2012, われわれは生という体の一部、ポリプロピレン及びポリエステルのひも、プラスチックボール、780 x 786 x 1486 cm Photo: Jérémie Souteyrat. Courtesy of Espace Louis Vuitton, Tokyo

この作品はまさに身体の延長のような空間である―入り口は床面ギリギリに接していて、浮遊感と重力を同時に感じる。私がボールを踏みつぶす音、どこかで他の人間もボールを踏みつぶしている。中にいる人間がそれぞれにもがき、ロープが重みに耐える音が聞こえる。黄色いロープは裸足には少し堅い。ハンモックのような心地よさと不自由さが共存しており、卵子の部分は床面から2m程は空中に持ち上げられているだろうか、自分の身体は今までいた世界から切り離されたような感覚である。ガラスの向こうに見える東京の街からズームインして自分の身体の大きさを想像してみる、「powers of ten」のように。東京表参道、ガラス張りのエスパス7階、そして卵子、その中にいる自分。

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