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ビーザー

PEOPLEText: Kyoko Tachibana

ブリストルの人たちは、よくロンドンへ行き、他の人たちのサウンドシステムで音楽イベントを行ったり、大きなウェアハウス・パーティーを一緒に開いたりしていました。これらは全くの非合法のイベントで、バスタブいっぱいのビールがある凍えるようなウェアハウスに、700から800人もの人が集まり、巨大なサウンドシステムからガンガン音楽を流し、それはものすごい雰囲気で、神秘的な程でした。皆それぞれの姿勢を持っていて、今街中にあふれているようなエゴいっぱいの人達はいませんでした。自分の周りの人たちはほとんど知り合いだったし、彼らも私を知っていた。だからカメラを持って彼らと一緒に行動していても、なにも不自然なことは全くなかったのです。家に暗室を設けていたので、写真を撮ったらすぐに現像し、次の日には友達に見せていました。1982年に専門学校を終えてから、Venue!マガジンのための撮影をしていました。首からカメラを下げる習慣は染み付いてしまい、今でもそうしています。ですから、自分の周りで起こっていることを捉えるのが自分の仕事であり、現在でも続けていることです。ですから、周りの人にとっては、カメラで撮られることは不自然なことではなく、それは私にとっても自然なことです。

ですから、色々な意味で、私がドキュメンタリー写真を選んだ訳ではなく、ドキュメンタリー写真が私を選んだのです。

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Mark Stewert © Beezer Photos

マッシヴ・アタックやマーク・スチュアート、トリッキーなど、UKの音楽/ユースカルチャーはどのような影響をあなたに与えましたか?

私はその中で育ったので、特に影響を意識したことはありませんでした。私の周りでも、そのようなシーンの一端だったものはありました。その頃は誰もその後のことなど考えていなかったし、少なくとも自分は考えていませんでした。おそらく、色々な種が芽生えようとしていて、そのシーンが単に大きく成長したにすぎないと思います。その一人一人が個々のキャラクターを持っているのです。

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Anti-Apartheid Rally, Bear Pit, Bristol, 1984 © Beezer Photos

しかしながら、それらシーンがメジャーになるにつれ、あなたの作品も世に知られるようになりましたね。このようなことは最初から予想していましたか?

音楽が彼らのメッセージであり、グローバルなメッセージなのです。私のチャンネルはヴィジュアルであり、新しい作品を毎日作っていて、まさかこんな状況になるとは誰も思っていませんでした。今後のためにオリジナルのレコードを保管している人もいれば、私はネガとフィルムを保管するようにしています。

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