横浜トリエンナーレ 2011
HAPPENINGText: Toshiaki Hozumi
Mircea Cantor, Tracking Happiness, 2009 © 2009 Mircea Cantor. Courtesy the artist, Yvon Lambert, Paris and Dvir Gallery, Tel Aviv
ミルチャ・カントル(ルーマニア)の映像作品《Tracking Happiness(幸せを追い求めて)》は、真白い空間の中を純白の衣裳の女性たちが、ほうきで前を歩く女性の足跡を消し続けるという作品。「円環」「巫女性」「祭祀性」などを読み取ることができるが、生成と消滅、徒労と永遠などといった普遍的なテーマを同時につよく意識させつつ、その白を基調とした映像の美しさに目をひかれる。
Mike Kelley, Kandor City, 2007 – 2009. Installation view for Yokohama Triennale 2011. Photo: Ken Kato. Courtesy of Organizing Committee for Yokohama Triennale
今回は、このような有無を言わさない「美しさ」と出会う作品が多かった。YBAsのアンファンテリブル、ダミアン・ハースト(イギリス)も、教会のステンド・グラスを思わせる作品を出品し、ロサンゼルス・アートシーンのグロテスクと呼ばれた・マイク・ケリー(アメリカ)ですら、色とりどりの半透明の物体でつくりあげた宇宙の架空都市の作品を出している。アラーキーこと荒木経惟もいつもの私小説的なセクシャルな表現ではなく、被災地に咲き誇る花を撮影した作品もあり、これらも理屈抜きに美しい。
Nobuyoshi Araki, HISAIBANA [Flowers for Victims], 2011 and Nostalgia, 2011. Installation view for Yokohama Triennale 2011. Courtesy Taka Ishii Gallery, Tokyo. Photo: Keizo Kioku. Courtesy of Organizing Committee for Yokohama Triennale
おそらくは、現代アートに慣れてない観覧者にも「美」術としてわかりやすく楽しめることを目指した「ねらい」のひとつであるように思われた。その美しさへの志向はもうひとつの会場、日本郵船海岸通倉庫でも同様だった。
ピーター・コフィン(アメリカ)が映し出す、フルーツの透視画像が天体として飛び交う宇宙空間は、美しくヴィヴィッドな視覚体験を提供してくれるし、シガレット・ランダウ(イスラエル)の映像作品は、死海に500個のスイカとアーティスト自身が登場して、ゆっくりとフォーメーションがほどかれていく様子を描きだし、音楽のようなリズム感と色彩の美しさが際立っている。
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