ソナーサウンド・トーキョー 2002

HAPPENINGText: Jo Kazuhiro

HEADZでのイベント開催や多数の著作で知られる佐々木敦は、映像を中心としたアーティスト集団である「242.パイロット」のDVDを上映し彼らの話題を中心に話を進めていた。「nato」を駆使した作品制作を行っている多国籍の3人組のユニット、映像を即興的に演奏するという視点、といった話題が話された。

続いて幾つかの話題に関して討論が行われた。幾つか紹介すると、アルゴリズムとパフォーマンスとの関係については、たとえばバイオリニストがアルゴリズムをコントロールする、といった形での解がジョエル・ライアンから示され、物理性をコンピュータとの関係に持ち込む、これまでに得た演奏のスキルを生かすことのできる新たな楽器、といった意見を聞くことができた。

また、佐々木敦から、最近よく聞かれるラップトップによるパフォーマンスが音だけで退屈だ、という批判に対して、ライブ性=演奏者の行為、ではなく=環境と捕らえるべきなのでは、という意見が出された。これは視点をシフトするという点で面白い考えだと思うのだが、実際に音響システム、空間の響き、といった環境にパフォーマンス以上に気を配っているライブがあまり存在していないことを考えるとやや疑問が残る。
更に、パフォーマンスとメディアアートとの関連について、たとえばゲームをやるのは面白いけど、見てるだけだとつまらない、一方向ではなく双方向だとよりおもしろい、といった意見がジョエル・ライアンから出され、それに答える形で、作品として場所、空間を作るものが現れてきている、との四方幸子の発言があった。

オーディエンスがあまり多くなかったのが残念ではあったが、第一線で活躍中の人々による中身の濃いシンポジウムであり、テクノロジー・アート・表現の現状を把握する上で良い機会となった。現在はアート、非アートを含め様々な境界が揺らいできている、という誰かの言葉と、ジョエル・ライアンの60年代にサーファーがスケーターになったように、物理世界からデジタルワールドへ、という言葉が印象的だった。

続いてその日の夜のイベントでは、ホワイ・シープ?、ナムケンタロウデニス・デサンティスワタナベ・ヒロシソウル・センター田中フミヤなどによるパフォーマンスが行われた。スケジュールの都合上残念ながらほとんど参加することができなかったが、友人によると、そのなかでもケンタロウのパフォーマンスは多くの観客の注目を集めていたようだった。確かにリハーサルの際も、多くのスタッフがDMC WORLDチャンピオンでもある彼のパフォーマンをみつめていたし、行為と音との関係が見て取れるというのは、少なくとも観客側にとっては重要な事なのではないだろうか。

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