イエロー・ペリル
PEOPLEText: Adam Hulbert
ここ数カ月寒くなり始め、アウトドアパーティーが開かれることはほとんどなくなってきた。寒さに負けじとがんばっている人達のために、チャイニーズ・ランドリーがニック・トスやアジャックスなどといったDJ達を起用して金曜と土曜の夜にいい音楽を提供しているが、観客の全体的な低俗さはシドニーの夜をつまらなくしている。
ナイトクラブ・サブライムで何日か前に起こった悲劇的な死はメディアに大きく取り上げられた(真実はほとんど取り上げられてはいないが)。その裏に潜んでいる本当の意味は、この場所が生き残ることができるかという点ではまだ分からない。そのナイトクラブは以前はシドニーで最もきれいで安全で、最もプロフェショナルなナイトクラブだと定評があり、最近はサウンドの質を向上し、最先端のスタジオを取り付けるために大規模な投資をしているところだった。
それは別にして、とても楽しく知的なスナールによる日曜の夜のフリジッドが今年の8月1日で3周年を迎えた。日曜の夜のつまらなさを打破することのできる、めったにない楽しいイベントで、フリジッドは一貫して最先端で実験的なパフォーマンスと映画を提供し続けているイエロー・ペリルを紹介しよう。
まずはじめに、3周年おめでとうございます。厳しい道のりでしたか?
いいえ、全然。毎回厳しくなっていく中で僕達はラッキーだと思います。例えば、僕達の最初の活動に影響を与えたキンセラズの閉鎖(96年12月)や、デニーの経営状態が変わった結果、断念することを決めたこと(98年12月)など、全て切り抜けることができました。フリジッドは常に財政的に組織されているので、コストに見合うように、僕達が計画したこと全てを実行することができます。僕達の誰も、お金を無駄にすることをしないので、利益シェアを基本に最小限のコストで仕事をし、企業スポンサーシップや財政上の提携などに頼る必要がないようにしています。1994年から現在まで、僕達が経営したもの(イベントやCDリリース)の中でお金を無駄にしたものはありません。もちろん、利益全体は微々たるもので、他のプロジェクトにあてられています。僕達は皆一律の給料を貰い、同じように扱われ、利益は全てスペシャルイベントなどを通して全ての人に還元されます。
フリジッドは、音楽的なスタイルとメディア両方の異なったジャンルの集中性に対するオープンさで、ある程度特徴づけられていると思います。ジャズポエッツ、ノスフェラトゥのエレクトロミックス、デトロイトベースから地元のライブバンドの音楽まで。これは意識的なイデオロギーの形ですか?それとも年月を経るうちに成長していったものですか?
フリジッドは1993年から1995年までのアンダーグラウンドレイブシーンで、僕達が深く関わっていたチル・スペースというアイディアを持った意識的な努力の形として、また、人々が新しいサウンドに触れることができ、みんなをひとつにする方法のひとつとして1996年に設立されました。同じ精神が1997年から1999年に僕達がオーガナイズしていた慈善パーティーの土台となっています。キンセラズではリロイ・ブラウンやメタベースといったヒップホップのクルーとDJがいて、いろいろなことをやっていました。デニーではショートフィルムナイトで映画の要素を取り入れ、毎週 「憎しみ」や「猿の惑星」、「フォクシー・ブラウン」、「レジェンド・オブ・フラッシュファイター格闘飛龍/方世玉」などを取り上げていました。
ニュータウンのグローブに活動の場を移した今では、映画の要素を保ちつつもっと多くのライブを行うために余分なスペースや音響設備があります。90年代始めのレイブのチルアウトルームがあり、多様性のはっきりしたポリシーを持った唯一のクラブです。
僕達の誰も、サウンドや人の間にバリアをはることを望んでいる人達のための時間はありません。また、ここ半年間で、1950年代からの音楽を広げるような広い範囲のサウンドを紹介するためにフリジッドのセットを移動しました。僕達にとっては音楽のスタイル的な分類は、「カテゴライズ」される必要がある市場やレコードショップのニーズを提供しているに過ぎません。ある意味では、僕達は変化するスタイル、アンチ・サブカルチャーを生み出そうとしています。サウンドは、ヒエラルキーという点で何を表現するのかではなく、それがどう聞こえるか、それによってどんな感じになるかで認識されるのです。また、僕達は故意に「ダンスフロア」を無視しているわけではないので、パフォーマーはムードを感じ、普段はプレイしないような曲をプレイすることができます。アルコールを多く飲ませるために「楽しい音楽」をプレイしたり、踊らせるために速い音楽をプレイする必要はありません。その代わり、フリジッドはサウンドの間に橋をかけ、ジャングルとダブ、テクノとミュージックコンクリート、ヒップホップとエレクトロ、機械音とジャズの共通性を見極めようとしています。
バックグラウンドを教えてください。また、それがスナールとどこで結びついているのですか?
スナールは、ニュージーランド生まれで、パケハとチャイニーズのハーフの僕イエロー・ペリルと、イギリス生まれでドレッドヘアのレックス・ルーサーの2人です。1991年に大学で出会い、何百というレイブでプレイし、フリーのパーティーというアイディアとアーティスティックなデザインの解放に多大な影響を受け、いろいろなものに関わってきました。
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