文月悠光

PEOPLEText: Ayumi Yakura

平成生まれの詩人、文月悠光は、中学時代から雑誌に詩を投稿し始めて16歳で現代詩手帖賞を受賞。高校3年生の時に出した第一詩集で、中原中也賞・丸山豊記念現代詩賞を最年少受賞し「女子高生詩人」として一躍注目を集めた。

大人になった彼女は今、執筆活動を精力的に続けながら、アートやファッションなど、詩人の枠にはまらない多種多様な活動を展開している。文字として後世にも残る「詩の世界」で確かな評価を受けているにも関わらず、時に誤解や批判を受けてまで、なぜ同時代の人々に消費されていくような活動を行っているのか。初のエッセイ集と第三詩集を刊行したばかりの彼女に話を伺った。

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今の文月さんについて伺う前にまず、過去に刊行された第一詩集と第二詩集について教えてください。

高校3年の秋に出した第一詩集「適切な世界の適切ならざる私」は、自分は観察者で周りと違うという疎外感や、みんなが平然と見過ごしている事を見つけてしまう違和感など、「人と自分の違い」がテーマでした。

第二詩集「屋根よりも深々と」は、上京してから新聞や文芸誌など、詩の雑誌以外の媒体にも書かせてもらえるようになった詩を集めたもので、題材を指定されて詩を依頼されたり、媒体の読者層を考えたりと、読む人の顔を想像しながら書く機会がすごく増えたんですよね。第一詩集の頃に比べると人への攻撃性があまり無くなり、人との違いを実感して『どうやって受け入れていこう』『どうしたら共存できるんだろう』と考えながら書いていたと思います。

第二詩集の感想は、ネットで検索すると二極端で、『すごく洗練されて良くなった』という人もいれば、『何か物足りない』『第一詩集の時の文月さんに戻ってほしい』という人もいます。でも、10代の女の子がリアルにその時感じた事を書いていた説得性にはどうしたって負けるというか、今の私が、第一詩集のような詩を書いたところであまり面白くないだろう、と。

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第一詩集「適切な世界の適切ならざる私」/第二詩集「屋根よりも深々と」(思潮社)

第一詩集と第二詩集には、どちらにも遺骨を拾う詩が出てきますね。第一詩集の、お祖父さんの遺骨を拾った時の詩は、とても美しく詩的な文体が印象的です。一方、第二詩集のお祖母さんの時は日記のような文体で、より素直に共感を得る事ができました。

その違いは、亡くなった人との距離感を表しているとも言えて、祖父の場合は年に1回会うか会わないか位の距離感で接していたから、お葬式に出ていても観察者の目線でいられたんです。祖母とは一緒に暮らしていたし、詩を書いた時は気持ちの整理がついていなかったので、自然と日記的な文体になったのだと思います。

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