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ジュリアーノ フジワラ

PEOPLEText: Naoko Wowsugi

1986年に藤原喜章がミラノコレクションでデビューしたブランド、ジュリアーノ フジワラ。藤原氏の没後、2006年に松村正大が25歳の若さでデザイナーに就任し、最年少26歳でミラノコレクションのランウェイデビューを飾った。松村氏に彼の現在、過去、未来を中心に聞いてみた。

ジュリアーノ フジワラ

デザイナーになる前は何をされていたのですか?

ロンドンの大学でファッションの勉強をしていました。経済、心理学、社会学も専攻していました。服作りを学びたかったのはもちろんなんですけど、こう、ファッションって社会動向とか反映されるのでそれも含め、総合的にいろいろ勉強していましたね。数学、科学、そういったものまで勉強しました。

ジュリアーノ フジワラジュリアーノ フジワラ
giuliano Fujiwara 2008-2009 A/W Collection

若いときに海外で生活されていたのですよね。

はい。14歳でスイスの全寮制のインターナショナルスクールに行きました。最初は英語も話せなかったし、辛い事も沢山ありましたが、いろんな出会いがあって今思うとすごく貴重な経験だったと思います。
同じ部屋にブラジル人、ロシア人、アメリカ人といろんな国からきた奴らとベットを並べて寝るわけですよ。幼いながら自分のアイデンティティーを知らされたし、それでもっと日本人としてもっと自分の国について勉強しようという意識が芽生えました。

ファッションを志すようになったのは?

中学の頃、コム デ ギャルソンのジャケットを両親が誕生日にプレゼントしてくれたんです。そのときに今まで持っていた洋服の概念が吹き飛んだというか、『あっこんなこともできるんだ』ってショックでした。洋服って面白いなってその時思いましたね。それで、17歳のときにマックイーンのショーを見て何かすごく自然にこの道に進んでいったんですよ。

ジュリアーノ フジワラ
giuliano Fujiwara, Aoyama, Tokyo

何か、ご自身に影響されてきたものは?

両親の教育方針が面白くて、結構自由にやらせてもらっていたんですが、その中でも、父が『僕が社会人になるころにはクリエイティブなものが日本をリードしてゆく様になるから』という理由で幼い時から歌舞伎や、ザルツブルクにモーツアルトのオペラを見に連れて行ってくれたり、と良いものを沢山見せてもらっていました。

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