サラ・チラチ

PEOPLE


サラ・チラチは、彼女1人でもう1つの世界に生活している。決して終わることのない砂漠の風景、真夜中の太陽、UFO、バイオレットのトーンを持つ砂丘、そして放射性の色彩。それらは、ほとんど人の住んでいない人工的な場所で、ひょっとすると将来あり得る光景かも知れない。想像上のシーンなのかも知れない。UFOとSFの古典についての本が、好んで使った素材だ。

「私の写真は、本当は存在しない。心の状態が形を変えたものが、これらの写真なのです。」

彼女は、デジタル写真、ビデオ、インスタレーション、彫刻といった、さまざまなメディアを用いている。毎日、リアリティを再現したり、撮り直したりする技術が、色のある夢「個人的幻想」や「予期していた光景」に対する恐れや欲望に形を与える。

2回目のミレニアムの最後、芸術において重要な変化があった。より人間的で主観的なアプローチによって、自伝的な苦しみと私的な不安が、観念的でフェミニンな世界に取ってかわるというようなことが起こったのだ。実際この10年間、女性アーティストの中では、こうした動きが明らかに高まっている。加えて、60年代から現在にかけての技術的な方法もテクノロジーとアートの関係についての考え方を変えてきた。60年代のテレビのモニター、カメラ、電話といった、身体的な道具としての技術がもつ本来の用途から、70年代の反射の瞬間としての黒と白の実験を経て、豊かな80年代のコミュニケーションにおけるテクノロジーをもって、現在に至っている。今日のアーティストは、インターネット、テレビ、ビデオクリップ、広告などの日常の技術と共に育った世代だ。技術の飛躍的な開発をもたらした、イメージの「肥大」を定義づけたものが、虚像である。

技術の最高表現として、虚像に関する理論は調子はずれだ。一方では、夢や創造を必要とする、隔世遺伝的な人間に出会い、もう一方では、リアリティの代用物の口実は、人間の夢見る能力が薄れて、そこには無いのだと提示しているようだ。発展を押し進めることが、不動の物へと形を変えているのだ。これが、ジーン・ボードリロードが私達に考えさせている恐れである。もしかするとサラ・チラチは、それを取り巻く道筋を見つけたのかも知れない。もし、技術的な進歩が、我々の現実を所有して行くのなら、それを放っておいて、もう1つの世界に逃げ込むより他にない。彼女によると、マルセル・デュシャンはスペースシャトルと浸透性のある部屋に住むエイリアンだという。今日サラは、そのマルセル・デュシャンやUFOと共に生活をしている。

「もし、我々の次元の知覚で活動し、私達の直観のコードとして大きくすることができるのなら、おそらく私達は目に見える宇宙船やエイリアンを作ることができるでしょう。そんな物を理解できますか?想像できますか?」

「1995年にUFOを見ました。そして、作品を制作すると同時に、その光景を書き記しました。水平線に出現したUFOを見ても、特に驚いたりしません。でも、UFOが上陸して、エイリアンが自分達の星の事を私に語る状況は、想像つきません。私が直観のなかに新たな水平線を見い出したのは、UFOを見てからです。」

では、UFOの存在を信じているのですね。

「はい。信じています。興味があるのは、その存在に対する正しい見方が、新しいイメージのコレクションをどのくらい生み出すかという事ですけどね。エイリアンの信念における、何か神秘的なものがあります。怖れと希望が、クリスチャンの信仰のように投影されているのです。神の与えた罰に対する怖れと、永遠の救済に対する希望です。」

サラ・チラチは、砂漠シリーズを「ネアンケ・ルモリ・ディ・フォンド」(背景の雑音にもならない)と呼んでいる。これは、これらの場所静かなことと、空白だらけであるということによる。このシリーズは、彼女が撮影したり、時にはカタログや本からのプリントを用いて、修正を加えた空間から身体的要素を引く事を増やす過程において発生した。ある身体的空間との関係は、重要では無い。テリトリーというよりもむしろ、地理的な思考を照らしているのだ。目に見える事はないように思えるにもかかわらず、人工的なものに対し平和を求めるという強い傾向と同等の、個人的な言及点を見つけるための、隠喩的な場所として行き着いている。

ジェームズ・バラードによる「ザ・モンスター・オブ・アトロシティー」のような本を読む。産業資源によって作られた場所での物語は、有利に進んできた。しかしバラードで読み取るような、技術的な物神崇拝を、傾向の中から減じてきた。

「おそらく、風景を修正するという考えは、私の生まれ育った都市に関係があるのでしょう。タラントでは鉄工業が盛んで、すばらしいスケールの夕日を見ていました。自然と人間の関係です。有毒なガスが、光との関わりあいのなかで、言葉に表せない色調を生み出しています。たとえ、汚染されているガスだとしても。」

彼女は、リドリー・スコットが1982年の映画「ブレード・ランナー」の基にした、フィリップ・K・ディックの有名な著書「ドゥ・アンドロイズ・ドリーム・オブ・エレクトリック・シープ」の事について話してくれた。その本は、人間が家畜を所有することに対して抱く、巨大な欲望を説いている。古典的なペットの不足によって、電動の羊を開発することになるという展開で、それがタイトルにもなっている。

人工物と自然物の境界は、いつも西洋の伝統の中にあった。そして、私達の時代の文化がそれを維持するのが不可能であるのを認めるようになるまで、大きな哲学的テーマとして思考されてきた。自然は、触れることのできない秩序として保存することは不可能だった。そしてサラ・チラチにとっては、これは人工物の言い逃れの決定的なものだ。彼女の風景は、他の手段としてある、現実のコピーのようなものなのだ。まるで彼女が、自然の色を合成の色に変え、自然の要素を人工的な要素へと変える生体工学的な目を通して、世界を見ているようだ。

彼女の作品に流れる空気はいつも、黙示的な独特の味をもっている。あたかも、核破壊後の情景であるかのようだといってもよい。つまり、ミレニアムの悲劇のその後を思わせるのだ。「クエスチョンネ・ディ・テンポ」は、タリン、ギャラリー・オブ・モダン・アートで開かれたカンポ6展のために制作された作品だ。地下からそびえる2つのドリルが、鋪道を掘っていく。これは、解決できない不安の感覚をもった作品の1つだ。ほかの作品では、シーンに関わらず確かな平和があるように思われる。そして、調和的ともいえる雰囲気を捉えている。

未来は、どのようなものになるでしょうか?

「全ての人が豊かになるでしょう。もはや、飢えはありません。空は、飛行機と他の星から来た宇宙船でいっぱいになるでしょう。エイリアンと地球人が、うんざりするほどのドラマを経なくても共存できるようになります。結婚は、もはや存在しません。あるのは、愛のみです。教会は、全世界委員会から迫害されるでしょう。なぜなら、教会は再び闇を探し求めるからです。真実は『神はエイリアンで、地獄は天国よりも過ごしやすい。』というものです。とても素晴しい世界を予見しています。祈りは、役に立つから・・・・。」

高さに対する感覚と遠目を与えられた地球上のいくつかの生物は、形状から型やタイプを盗んできた。だから地球は、形状の代替という領域をリードしてきた、アイデンティティのあまりない物体を所有している物だということになる。

これが、フランク・オー・ゲリーによるグッケンハイム、ダンテ・ビニによって建てられたミケランジェル・アントニオーニの私邸、渡辺泰男によるペサロのスポーツセンターのケースに当てはまる。

このことが、建造物を盗んで、その形状のもつ秩序に関するコンセプトへと戻すという他の世界に、それほどつながりがあるようには見えない。

誘拐のビデオは3つのおおまかなエピソードで構成されている。初めのエピソードにおけるさまざまな展開の後、グッケンハイムは飛んで行ってしまう。まるで、宇宙船のように。2番目では、家自体が地面で回転し、そこから離れて飛んで行ってしまう。最も分かりやすい3つめのエピソードでは、スポーツセンターが消えてしまう。

エイリアンの世界のメタファーは、(デュシャンによって理論付けられたような)アイディアの宝庫だ。姿態と思考がやってきたり、懐かしく戻っていったりする、高くて遠い場所。

エイリアンはどのようなことをするのでしょうか?

「私の次の作品では、実際にどのようにして建築物を彼らのスペースで並べ直すのだろうか、そしてそれはどのような論理に基づくのだろうかということを、頑張って想像していきます」

サラは、マルセル・デュシャンのグランデ・ヴェトロを、ミステリアスなデザインを持ち、世界中の農場で常に膨大な数が発見され、UFOと関連づけられることの多い、クロップ・サークルへと形を変えている。

本当に宇宙から来ているのは、このアーティストなのかもしれない。「私が知る限り、宇宙から来たアーティストはデュシャンだけ。私達にアートをもたらすために地球にやってきた。そして、彼の作品は私達の直観における視野を広める展開をしたのです。」彼女はアニメーション・ビデオの中で、デュシャンとエイリアンの出合いについて話した。「デュシャンは地上に奇妙なサインを描いた宇宙船を見たという。それらがグランデ・ヴェトロのシンボルで、その作品が宇宙からのメッセージを隠し持っていると想像できる。この作品のために私は、マン・レイが撮影した「グランデ・ヴェトロ」の写真を選びました。」

再びイマジネーションの集合体に繋げられることもあろうSFシーンの使用は、かつて地球規模の問題として話し合われたことを暗に示している。アイディアの領域や、物事を試み、世界に意味をもたらす合理的な秩序など、全てを高いレベルまで持ち上げるために。私達を地球上の束縛から解放するために。我々に意味を与えるため、神聖な感覚と、おそらく存在しないであろう真実を探し求めるために。

サラ・チラチ
1972年、グロッタグリー(タラント)生まれ。ミラノに在住し活躍中。共通のバックグラウンドを持つ若手アーティストのグループ、ヴィア・フィウッギに参加した。アーティストが共に生活し、活動するというヴィア・フィウッギは、今日のアートシーンで主役として活躍する多くのイタリア人アーティストを送りだした。

Text: Ilaria Ventriglia From Domusweb
Translation: Naoko Ikeno

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