SMAL国際会議「デジタルの裏庭」
HAPPENINGText: Magdalena Taube
ワークショップ「明日のアート」は、アート、およびアーティストと消費者の新しい役割に注目した。このワークショップの参加者は、三浦啓子(北海道教育大学)、橘匡子(S-AIR)、大黒淳一(アーティスト)、端聡(札幌国際芸術祭地域ディレクター)、小田井真美(札幌国際芸術祭)、岡田智博(研究者/クリエイティブクラスター)、モデレーターの武邑光裕(SMAL所長)。
議論を誘導する主役は、ヨーゼフ・ボイスの「全ての人は芸術家である」という信条であった。この考えは、デジタル時代において、新しい勢いを獲得するように思える。これにより、重要な社会的実践としてのアートの役割が再定義されている。伝統的に非アーティストと考えられる人々を巻き込むことによって、それは目に見える問題をレンダリングし、その解決のための概念的なツールを提供する。エリート主義を別にすれば、最近のアートは社会と地域コミュニティーにより深いインパクトを持つことができる。ワークショップは、日本のアーティストの状況、変化するアートの役割および札幌のローカル・コンテクストに対処しようとした。さらに、このワークショップでは、議論のための実用的なアジェンダがあった。2014年に札幌市は、芸術の新しい役割を実験するためのプラットフォームとして札幌国際芸術祭(トリエンナーレ)を開催する。
全ての人が芸術家である、というのは真実かもしれない。しかし、全ての人がアートで生活をすることはできるのだろうか?日本では、アーティストの居場所は非常に脆弱だ。北海道教育大学の三浦啓子は、鮮明な事例を挙げた。『近頃、私たちは、アートへの関心を声高に主張する学生が少なくなっています。しかし、デザインにおいては、より多くの学生が関心を寄せます。彼らは、デザイナーまたはクリエイティブ・ディレクターになりたいと言います。 2000年の初めには、美術またはインスタレーション・アートに関心を持つ学生は多くいました。私は、学生たちが、崩壊する経済の影響を強く受けていると考えます。デザインが社会に寄与することは明白に見えます。増加するソーシャルメディアの使用で、アートは見えにくくなっています。教育者としての私は、アーティストがどのように経済的に生き残ることができるか、自己マネージメントの教育の必要性があると強く感じます。』
だとすると、アートはどのように存続できるのだろうか?そしてその結果、アーティストは彼らの仕事を持続できるのだろうか?岡田智博(クリエィティブクラスター代表)は、デジタル・メディアの結果として、静的な博物館ではなく多形態の方法でアートが提示される必要があると指摘する。その一つの事例は、YCAMで示された。ここで、劇場プロデューサーと同時代の音楽家は、初音ミクのオペラを上演するため共に働いた。このオペラでは実際には、誰も歌わず、誰も演奏していない。なぜならボーカロイド・ソフトウェアを使ったからだ。このように、突如として「普通の女の子」が、オペラ制作の一部でありえたのだ。この制作の方法は、必ずしも芸術家の財政問題を解決しないが、おそらく何がアートか、誰がアーティストなのかという認識を変えていくだろう。
このグループのアイディアは、シンガポールからスカイプで会議に出席したイヴォンヌ・シュピールマンの話によってさらに濃密になった。シンガポールのラサール芸術大学の芸術学部長であるシュピールマンは、ハイブリッド(異質のものを組み合わせる)文化について彼女の見解を説明してくれ、それは私たちの現実が様々な層の組み合わせから成り立っていることを思い出させてくれた。私たちの多層な現実において、アーティストは重要な役割を担っており、彼らは、私たちに異質的な状況を理解させてくれる。またアーティストたちは、重圧と対峙する。ただ受け身に消費されるだけでなく、それが積極的な方法として使用されれば、思いがけない状況に、(デジタル)メディアのより大きい可能性があるように思える。
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