コール・ミー・ゼイ
PEOPLEText: Alvis Choi
エリーシャ、私はあなたとビデオ作品「マイ・カルチャー 」について話したことを覚えているのですが、あなたが言及していたのは十代を過ごしたシンガポールの伝統文化のことだと思っていたのに実は北アメリカのことだったと知って驚きました。もっと詳しく、このビデオについてお話いただけますか?
E:(苦笑)私の中では、保守主義について言及したわけではないんですよ。私は、北アメリカはエキゾチックな場所だと証明しようとしていたのです。北アメリカが世界の中心であり、残りの私たち全てはエキゾチックだと思い込まされようとしています。しかし、北アメリカは異質で変で、おかしな儀礼でいっぱいです。私は特に、ジェンダーに関するロジックの落とし穴をほじくり返してやりたかったのです。
My Culture, Elisha Lim and Coco Riot, 2012
シンガポールとスペインのクイア・カルチャーについてはどうですか?
E:私はシンガポールにはそう長く住んでいなかったので、遠い十代のノスタルジアを持っているだけですね…。でも、ここトロントに着いたときどう感じたかを、できるだけ思い出してみます。トロント・プライド・パレードは、何か違うなと感じたのは覚えています。レズビアンやゲイやストレートについての、沢山のプラカードやルールがありました。「私たち」や「彼ら」という言葉がいっぱいで、まさに私が今、人種の問題に関してやっていることと同じですね(笑)。でも最初は、本当に嫌いでした。それは私が、子供ながらにシンガポールにいて、クイアであり、沢山のクイアたちを知っていたからだと思います。でも、私たちは議論をするようなことにはなりませんでした。クラスや学校や宗教や国として、お互いを助け合っていっしょに働くようなやり方にはしませんでした。
あぁ、思い出すと悲しくなります。そうできたらどんなにすばらしかったでしょう。ノスタルジックになっているのは分かっています、でも控えめになろうともしているのです。そういったシンガポールの思い出から学ぶべきかもしれない、という分別はあるんですよ。
C:スペインは、「クイア」アクティビズムの長い歴史があります。もちろん私たちは、それを「クイア」とは呼びません。これは英語の言葉ですから、スペインの活動家にとってはそう意味はありません。悲しいことですが、私たちはそういったアクティビズムの歴史を忘れつつあり、私たちがつくってきた文化や歴史の中で長いこと起こっていたあらゆるクイア・アクティビズムの証跡をも消し去って、北アメリカのクイア・ポリティクスをスペインの実情の上に塗りつけようとしています。北アメリカのクイア・ポリティクスをスペインの経験の上に塗りつけたとしても、それは大した意味を成しません。なぜなら、人々のリアリティーとは乖離しているからです。異なるスペイン語圏に住む人たちの間に、スペイン語話者のクイアのアクティビズム、グループ、アイディア、カルチャーなどの大きなネットワークが創られていることが嬉しいです。根っこにあるクイアの活動家の伝統と再び結びつこうとする、こういう熱意があります。たとえば、カリビアンのゲイ文学や、アルゼンチンのクイア映画、コロンビアのフェミニストの活動、スペインのアナーキストの伝統など。作品においては、私自身のことはスペイン語話者の文化に身を置くものとしています。たとえば、私の本「Llueve Queers」で私はこの1ヶ月のツアーを作りましたが、私の最初のスペイン語のクイア・グラフィック・ノベルです。私は、どの街でもクイアの団体から招かれて、毎晩新しいクイアの組織のやり方と出会いました。街が違ったということと、観客が本のプレゼンテーションをしに来ていたからです。私のスペイン語話者クイアの経験は、アンチ・キャピタリストの伝統に根ざしていて、ほぼアナーキストで、ライフスタイルというよりもアメリカや協会などによって押し付けられる秩序に対するコンスタントな抵抗(多くの場合に暴力的なものですが)なのです。
Everything Will Be Fine, Coco Riot, 2011
あなたのビデオ作品は全て、かなりテキスト・ベースですね。どのビデオでも、ナレーションがおどろくほど感動的です。この戦略について、詳しくお聞かせいただけますか?
E:ありがとう!ストーリーを語るのは、私にはとても大事なことなんです。ココと私は、お互い、より強いストーリーを話そうと、練習をしました。ストーリーには、沢山の無駄な、自堕落的なディティールをつけてしまいがちでした。シンプルで真実なストーリーを語るのは大変でした。私は、人にストーリーを語る機会というものを本当に大切にしています。子供みたいなわくわくと安心感のある時間なんです。私にとっては、実際想像したもの以上に意味のあることなんです。私は、自分のことを「ストーリー・デコレーター」と呼んでいます。
C:私はそれを「戦略」と思ったことはなかったけど、そうですね、確かに「戦略」ですね!私はエリーシャがとても強くて良い声を持っていて、それがナレーションの観点からだけじゃなく、感情的なところでも観客とつながることができるんですね!私は、作品のなかでもいいストーリーは、エリーシャが書いて声に出して読んだものだと思います。エリーシャは、素晴らしい書き手であり、パフォーマーであり、ミュージシャンでもあります。エリーシャは普段は声のイラストレーションになるようなイメージをほしがらないのですが、私はストーリーを広げられるイメージがほしいのです。ある意味、声とストーリーは道筋をつくる私たちのビデオ作品の主要な要素ですが、一方で映像は可能性を広げるためにあるのです。
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