ジャン・ペイリー
ジャン・ペイリーは1988年に映像作品「30×30」を制作したことで、尊敬の意を込めて「中国映像アートの父」と呼ばれるようになった。しかし、このようなレッテルが芸術家を不快にさせることは彼の様子から見て取れる。『このような名前で呼ばれる事に実に戸惑いました。私は父親になりたいと思った事はありません。それは私にとって全く意義の無いものでした。更には「85年の美術界(左傾した美術に対して当時の青年らは不満を持ち、西洋や現代アートの中に新しいものを求めた。中国全国規模で引き起こったアートのニューウェーブ。)のニューウェーブ・アーティスト」と呼ばれたりもしましたが、それらにはどのような事実も語られていません。中国で初めてとなる映像作品を私が制作したことや、年齢が少し高めだったことから「父親」と呼ばれたのです。自分ではどうしようもありませんでした。本来ならば作品だけで評価すべきだと思います。私はただ良い作品を作りたいと思っているだけです。』54歳の彼は黒いTシャツにハーフパンツというラフな出で立ちで、手にはエスプレッソコーヒーを持っている。眼は鋭く輝き、話は明確で筋が通っている。彼は慎重に考えを巡らせた。
「中国最初の現代アートの実験者」「映像芸術の先駆者」「85年ニューウェーブアート運動の牽引者」のような肩書きや名誉を、いくらアーティスト本人が重要視していないとしても、ジャン・ペイリーの作品は早くから多くの観衆の目に触れられていた。彼の多くの作品はニューヨーク近代美術館やパリのポンピドゥーセンターなど世界的にも有名な施設に収蔵されている。ニューヨーク近代美術館での個展の開催やヴェネチアビエンナーレに三度招待を受けた唯一の中国人アーティストとしても知られている。
ジャン・ペイリーは子供の頃から創作に夢中で、最初の頃は油絵を描いていた。1985年から86年の間の代表作に、水泳とジャズやサックスなどの音楽をテーマにしたシリーズがある。『私の記憶の中では音楽がとても重要な地位を占めています。私が小さい頃、隣にイギリス留学から戻って来た人が住んでいました。彼の家には音楽のコレクションが沢山あり、学校が終わると急いで彼の家に行き「ベートーベンのヴァイオリン協奏曲ニ短調」を聴いたのを覚えています。兄と姉はこの隣人の影響を受け、楽器を学び音楽で遊び始めました。その様子を見ていた私もいつの間にか影響を受けていました。サックスシリーズの制作では、楽器の複雑で細かな部品も細かく観察し全て描きました。』
芸術家の作風というのはしばしば超現実主義と超写実主義の間で揺れ動く。彼は笑いながら言う。『私は超写実主義のように精緻に描く程我慢強くはありませんが、やはりこの画法が好きです。大学生の時にお金を稼ぐため、広告やポスターの絵を描いたことがあります。多くの油絵作品には、広告や写真のような写実主義の手法も用いられています。私は綿密なものや冷静な表現方法が好きなのです。』
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