ミニテック・フェスティバル
HAPPENINGText: Patrick Burns
不運はブルックリンのコーニーアイランドで土曜の朝まで続いた。開始時間の午前10時にこんな小さな手書きのサインがエントランスに現れた。『雨による遅れで多大なご迷惑をおかけしていることをお詫び申しあげます。落ち着いてホットドッグ食べててください。よろしく!』。2つあると想定されていたステージ、パープルとミントは、セッティングに10時から12時までかかり、ついに片方は午後の遅くまで開かなかった。結果的に遅れは後に響き、5時間の遅れを取り戻すのにDJたちはそれぞれトラックを1、2回しかプレイできなかった。
Audiofly
オーディオフライとハイジが、これらのお膳立てをする。オーディオフライが1時間近くフロアを占領するまで、ジャングルメロディーやアンビエントなエレクトロハウスのレコードでセッションした。
Jeremy P. Caulfield
ジェレミー・J・コールフィールドのセットリストは、彼のレーベル「Dumb-Unit」の特徴にあるように、ダークで、必要最低限のミニマルさだった。
午後に到着した時に、私はフリーのDJとファンがミントステージの後ろにいるのを見た。ファンとプロを見分けるのは難しく、みんな好き勝手に音に合わせて踊っていた。雰囲気的には即興的なアフターパーティに似ていて、飛び入り自由であったり、音割れしたオーディオ、しまりのないベースレベル、そして誰も何が起こっているか知らないのであった。それはキャッチフレーズの『世界からの最も盛り上がるエレクトロミュージックの才能』からはかけ離れたものであった。
遅れや早い終了がもう少しあったが、最終日の日曜日にはフェスは限りなく告知に近い成功を収めた。人々は最高に不運なシチュエーションに出くわしたと考え、DJ群にとっては記憶に残るプレイとなった。そのような意味では、ミニテックにとって3つの試み(金曜の夜と土曜とその夜に行われたショー)は、必要であったということになる。来年もまたMinimoo主催のミニテックを希望する者に、展望を与えたに違いない。しかし現実的に、この大惨事の後ではニューヨークがこれから先もエレクトロミュージックの開催地になるということが期待できないのは明らかではないだろうか?または、ニューヨークがテクノに向いていないのは明らかではないだろうか?
Minitek Festival
会期:2008年9月12日(金)〜14日(日)
会場:Penn Plaza Pavillion、Studio B
住所:401 7th Ave, New York, NY 10001
https://minitekfestival.com
Text: Patrick Burns
Translation: Haruka Kibata
Photos: Patrick Burns
