鈴木ヒラク

PEOPLEText: Mariko Takei

壁画、葉脈ドローイング、アスファルトのかけらで描く作品、土を使ったライブペイントなど異なる手法で、一貫したドローイング作品のシリーズを制作している鈴木ヒラク。描くことで、そこから立ち現れ視覚化された何かは、とても原始的で未来的。2つの対極する次元が交錯し、今を通じて新しい空間へと見るものを誘う。今回、11月に札幌で開催されるアートイベント「FIX・MIX・MAX!2」へ、道外アーティストとして参加を目前に控え、ノルウェーで滞在制作中の鈴木ヒラク氏にお話を伺った。

鈴木ヒラク
作家近影, 2008 © Hiraku Suzuki

自己紹介をお願いします。

こんにちは。初めまして。鈴木ヒラクといいます。1978年生まれです。今は東京の杉並区を拠点に制作しています。よろしくお願いします。

最近の活動についてお話頂けますか?

ドローイングをしています。

鈴木ヒラク
The Passage, 2004, インスタレーション, 33m, Karl Jjohans Torg(ストックホルム、スウェーデン)Photo Courtesy of the artist © Hiraku Suzuki

鈴木ヒラク
Genga #243, 2004, 紙、マーカー, 21×29.7cm © Hiraku Suzuki

いつ頃から作品を作るようになったのでしょう?その経緯を教えて下さい。

絵は、4歳くらいの時からずっと描いています。父親が建築をやっていたので、家に図面の青焼きが常に大量にあって。その裏に色々な画材を試しながら、モアイみたいな絵などを描いていました。6、7歳くらいになると小学校帰りに空き地に入って、土器や外国のコインやプラスチックの欠片などを発掘して遊んでいました。日常の風景にちょっと突っ込んでみれば、別の場所・時間に触れられる、というのはそれから僕の基本的な思考原理になっています。その後は、ありがちな流れですが、グーニーズやインディジョーンズの影響もあって、考古学者になりたいと思っていました。

また、祖母に連れられて温泉街によく行っていたんですが、お土産物屋でお面や鉱物や化石や魔除けの置物などのブツを毎回買ってもらって、それを部屋で眺めて気持ちよくなっていました。それは何か「向こう側」からのお土産という感じがしたんです。そのうち自分でもそういうものが作りたくなり、建設現場のゴミ捨て場から木を拾ってきて仏像のようなものを彫ったりもしていました。8歳くらいの話ですが。

その後は陸上部に入ってひたすら走ったり、音楽をやっていた時期が長かったです。音楽活動を一段落させて、現在も継続している作品シリーズを始めたのは2000年からですね。

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