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イグナシオ・マスロレンズ

PEOPLEText: Gisella Lifchitz

バーに到着した。イグナシオ・マスロレンズに電話するのはこれで3度目だ。彼が、私たちが会う予定の場所を間違うのではないかと心配なのだ。彼がこの場所を知っているのかが不確かなために、何度も確認した。彼がここに着いたときは溜息をついたよ。そしてインタビューが始まった。

イグナシオ・マスロレンズ

彼を見るや否や、イグナシオが典型的な映画制作者ではないことに気づいた。彼はシンプルな男だ。一緒にコーヒーを飲みに行ったり、映画を観に行ったりするようなタイプの男なんだ。

ブエノスアイレスの多くの人がそうであるように、イグナシオは他のことから活動を始めた。子供の時は、スケッチが好きだった。そしてその後、オーディオヴィジュアルデザインを勉強した。また、雑誌を作ったり、写真を撮ったり、DJをするのも彼のひとつの楽しみだった。そんなわけで、ここでは典型的な映画制作者について話しているわけではないんだ。

『これらのことを映画制作と比較すると、他の仕事は全て限界があるように思えたんだ』とイグナシオは言う。『映画の中では、なんでもできる。プロジェクトがもっと野心的なものになるんだ。だからこそ、規則は交換可能となり、それらを交差する沢山の環があり、それらの間で突然変異することが可能になるんだ。』

イグナシオ・マスロレンズ
Paseo (2006)

イグナシオはアルゼンチンの南にある、忘れられないぐらいの美しい風景をもつ素晴らしい街、バリローチェからきた。この街の澄んだ空気は、まだ彼の容貌の中に息づいている。彼の薄茶色の眼の中をじっと見つめると、その空気を吸い込むことができる。『僕の多くの友達は地方から来てるんだ。大きな都市に来れてうれしいし、ありがたいと、みんな同じことを言うんだ。僕らは、ついにここブエノスアイレスに来たっていう瞬間を待ちに待っていたんだよ』と大きな笑顔でイグナシオは言う。

イグナシオ・マスロレンズ
S/T (2005)

イグナシオの映画制作者としての経歴のなかで、最も重要なポイントのひとつとなったのは、シネアンブランテ(ノマドフィルム)プロジェクトだ。『全ては、マルデルプラタの映画祭から、大きなバスで数名の友人と帰ってきている時に始まったんだ。僕らは、映画祭の活気と音楽に包まれて、信じられないほど機嫌がよかったんだ。それで、そのバスで旅をして、僕らの国のあちこちで映画を上映することに決めたんだ。僕らは資金集めのために一年間働き、それから4ヶ月間アルゼンチンの北部を旅した。インディアンの群落、廃墟となった村、いろんなところへ行ったよ。学校やクラブで映画を上映したり、サッカースタジアムでも一度上映したな。この頃は、僕の全ての力をこのプロジェクトに全力投球したよ。』と彼は思い出を語る。『このプロジェクトには、ヒッピー感覚があったんだよ。』

イグナシオ・マスロレンズ
Alabanza a la papa (2007)

『ノマドプロジェクトの中で覚えているひとつの作品は、30年前にトゥクマンの田舎で、俳優なしで撮影されたものだ。俳優たちは、アチェラルの村の住民達なんだ。数年前、僕らはその映画を、その村で上映したんだ。その俳優たちのほとんどはお年寄りになっていた。効果は奇妙なものだったよ、なぜなら彼らは若い頃の演技をしている自分たちを見ているんだ。その時代には斬新的な映画だったんだよ。』

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