フィリップ・トレーシー

PEOPLEText: Waiming

『裁縫は五歳の頃から始めたんだ。今でも学校の先生とのことを思いだすよ。男の子は工作かなにかをやって、女の子が裁縫をしているでしょ。自分もやりたいな、と思って、先生にお願いしたらいいわよ、ってね。とても厳しい先生だったから、もしかしたら、頭を小突かれていたかもしれなかったけれど。それで、妹の持っていた人形の服や帽子を作ることから始めたんだ。母さんは鶏にガチョウ、キジ、アヒルを飼っていたから、帽子の素材に困ることはなかったよ。母さんはミシンを持っていてね。使わせてもらうことができなかったけど、生地を縫い合わせる、あの上下に動く小さな針に魅せられてしまったんだ。母さんが鶏に餌をやりにいっている間だけこっそりと使っていたよ。たったの5分くらいの短い時間だったけどさ。見付かったらエラいことになっていた。人形自身のことはあまり気にかけなかったけど、とても簡単に服を作ることはできたよ。それが何なのか知る以前からバストポイントを取り入れていたしね。近所の人の家で親父がこう尋ねられたことを今でも思いだすよ。『お前さんのとこの息子が人形のドレスをつくっているって聞いたけど、ちょっと変わっているんではないかね?』親父はこう答えたんだ。幸せならそれでいいんだよ、ってね。』

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ダブリンにある国立芸術デザイン大学ではファションを専攻し、洋服の付属として「帽子」を作ることから始めた。そして仕事の経験を積むプログラムの中で、彼はロンドンの帽子デザイナー、ステファン・ジョーンズの元で6週間働くことを選んだ。

21世紀を代表するファッションデザイナー、フィリップ・トレーシーの誕生である。

初めて彼の作品に接したのは、2002年にロンドンのデザイン・ミュージアムで催された「When Philip Met Isabella(フィリップがイザベラに出会った時)」であった。予想外で思わず感嘆の漏れるある種の衝撃。特筆すべきはキャッスル・ハット。“ポワティエの戦い”で黒太子を救ったイサベラの祖先を表現したもの。見事なまでに一つの創造が次元を超えた展示であった。

その衝撃は今でも心に強く残っている。あの創造力、刺激、魅力、魔力…

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普段どのように過ごしていますか?

いつもエリザベス通りの「Il Corriere」で朝食をとるんだ。この15年間いつも同じメニュー、目玉焼き2つとポテト!それから2匹のジャックラッセル、アーチーとハロルドを連れて、バタシーパークを通って職場へ向うんだ。やることが沢山あるから、なかなか帰れない。だいたい9時頃に歩いて帰って、また次の日が始まると言ったぐあいだよ。

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現在手がけている仕事について教えてください。

昨年、アイルランドの土地開発の方からアイルランドの西部にある「The G」という名のホテルのデザインの話を頂いたんだ。まず浮かんだのが、伝統的なアイリッシュデザインをクライアントに提供できないのではないかといった不安。だけど、プロジェクトに携わって間もなく自分自身にアイルランドらしさを確認したよ。アイルランドで生まれ育ち、自分自身がアイルランド製。先祖伝来だから、どこへ行こうと付いてまわるもの。自分自身が21世紀のアイリッシュデザインの一つのかたちであるってことだと思う。その時と同じ会社と一緒に今はロンドンのホテルの仕事をしているよ。

現在の仕事は以前とは違ってきていますか?

ロンドンの仕事は最高だよ。本当に家にいるような気になれるたった一つの街だし、人生に必要な最上級なものが全て揃っているよ。サミュエル・ジョンソンの言葉を借りるなら「ロンドンに飽きるということは、つまり人生に飽きるということ」さ。

より良いもの作るためにプロジェクトにどのように取りかかりますか?

いつも何か新しくてフレッシュなことを試みているよ。新しいものはインスピレーションを与えてくれるんだ。そうすると違ったものになるよね。

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