ダニー・ブラウン

PEOPLEText: Jemma Gura

初めてダニー・ブラウンに出会ったのは、2002年の秋にロッテルダムで行われたマッドレッターカンファレンスだった。そして同じプラダのスニーカーを履いていたことを思い出す。

1997年に、ダニーはヌードルボックスをスタートし、新世代のウェブアーティストやデザイナーたちに影響を与えた。その頃のオンラインのインタラクティブデザインは退屈なものばかりで、私たちは、彼のショックウェーブを使った、遊び心があり、革新的で動きのある美しい作品に驚かされた。そして彼はそこで踏み留まらなかった。ダニーは次ぎにプレイ・クリエイトで「ビッツ・アンド・ピーシーズ」を発表した。それはニック・ナイトのショースタジオにとってなくてはならないものとなった。

ダニーに次に会ったのは、スペインのバルセロナで行われた、OFFF 2003」だった。クロージングの夜に彼は大事故に見舞われ、首の骨を折り、脚が使えなくなってしまい、腕と手の一部にも障害が残った。それでも彼は仕事を続け、私たちを惹きつけてやまない。2004年、彼はロンドン・デザイン・ミュージアムのデザイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、現在は、プレイ・クリエイトを世間に広めている。

まずはじめに、コンピューターアートに興味を持ったきっかけを教えてください。

かなり早い時期から興味を持ちました。というのも、父がデジタルピクチャーズという会社を設立していたからです。デジタルピクチャーズは、テレビのコンピューターグラフィックを制作している世界でも最初の会社の一つでした。そこには2メガバイツのメモリや、一つの部屋いっぱいの大きさがあるコンピュータ−がありました。私はそれが未来の姿だとわかりました。もうすぐ全ての都市でコンピューターが利用されるだろうと思いました。

随分と前ですが、私はヌードルボックスを通してあなたの作品を知りました。なぜ個人のサイトを発表しようと思ったのですか? また、あなたが探究していたアイディアについても教えて下さい。

以前は皆、ただおもしろみのないHTMLを用いたサイトを作っていて、その隅にJAVAやショックウェーブを使って回転するロゴを入れるだけでした。私は、ショックウェーブを全体のサイトに用いることで、もっと夢中になれる環境をつくることができると分かっていました。データをダウンロードする間にアニメーションを見せるとか。実際にはサイトを表示させながら、データをダウンロードすることができるので、ユーザーは待つ必要さえないのですが、よりテレビやコンピューターゲームのようにウェブを作ることができるということです。

ヌードルボックス時代、あなたはアメイズという会社にいましたが、ヌードルボックスとアメイズの仕事に関係はありましたか?

初めはありませんでした。 アメイズのボスに見せるまで、長い間、自分でヌードルボックスを制作していました。しかし、彼らはすぐにそこに可能性を見つけ、私にそれを完成させるための時間をくれました。また、すぐにMTVのようなクライアントを得ました。そうですね、それ以降は、ヌードルボックスと私の手掛けていたプロジェクトには関係があったと言えるでしょう。

プレイ・クリエイトとヌードルボックスの違いはどのようなものですか?また、以前のサイトをバージョンアップするのではなく、あなたを新しいサイトづくりへとかりたてたものは何ですか?

いったんヌードルボックスを始めると、それは私とアメイズの両方のものでした。だからアメイズを辞めたときに、自然と何か新しいものを立ち上げたいと考えたのです。また、ヌードルボックスは実験的なもので、それ自体にアイデンティティを持たせるつもりはなかったのです。だからヌードルボックスと名付けましたが、その下で続けたいと思うブランドとしては見れませんでした。プレイ・クリエイトはもっと適切であるように思います。インタラクティブなシステムで動かすことによって、ユーザーが実際に何かを作ったり、達成できるというアイディアですから。

ニック・ナイトのショースタジオに参加する機会をいつどのように得たのですか?また、トラディショナルなバックグラウンドを持つ人々と働くことは大変ではありませんでしたか?

私がアメイズを辞めたとき、知人や姉、ボーイフレンド、母の知り合いたちが誰かにそのことを伝えていて、数日のうちにニックのチームが一緒に働く気はないかと連絡をくれたのです。私は、しばらくの間パートタイムで働くつもりだったので、すぐには決められませんでした。しかし、ニックが家に招待してくれ、ショースタジオのビジョンを説明してくれました。それで私はこんな素晴らしい機会を逃したくないと思いました。

ショースタジオで、違うフィールドのアーチィストやデザイナーとコラボレートすることは、そんなに問題ではありません。違う分野でもお互いに尊敬しあいますから。働き始めてすぐに、自分がグラフィックデザイナー、ミュージシャンや写真家としてではなく、より良い作品を作るために他人と協力すること、自分自身をインタラクティビティとテクノロジーに特化させることが必要だと気が付きました。たとえば、ニック・ライアンやマーク・ベルとした仕事を例にあげると、それを特別なものにしているのは彼らの音楽だと思います。デイズド・アンド・コンフューズドの仕事をニックとすることは、本当に夢のようでした。沢山の熱心な人々がいなくては、このプロジェクトは成功しなかったでしょう。

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