マッシミリアーノ・ジオニ

PEOPLE


イタリアの若手アーティスト達が今、ミラノの中心部から郊外へ、何千というポスターをまき散らしている。この活動は、エキシビジョンというより、我々を取り巻いている広告の嵐とは異なる手法の、「ポスターの侵略」と呼んだ方が適切かもしれない。それらのポスターは、何かを宣伝するのではなく、都会の喧噪の中で、ある静寂のひとときを与えてくれる。

道ばたや、店と店の間、郊外の高速道路やビルの隙間など、街自体が展示スペースで、街は今、至る所にポスターを広げる巨大野外スペースなのだ。このプロジェクト、「I NUOVI MOSTRI / LIFE IS BEAUTIFUL」のキュレーターである、マッシミリアーノ・ジオニに、いくつか質問をぶつけてみた。

郊外で起こっている現実は、コンテンポラリーアートの核とつながっており、様々なメディアに影響を与えてきています。都心という場所で、このイベントを始めようと思ったきっかけは何だったのでしょう?

コンテンポラリーカルチャーは、都心に根ざしているものだと思います。アーチストはたいてい、大きな街で、日々忙しく動き回り、ポスターやコマーシャルに囲まれて暮らす。都市や公共のスペースは、これまでもたくさんのアーチストやクリエーターに、表現の場として使われ、その点では特に目新しいものはありません。ただ、僕達が今やろうとしていることは、アートと遊び、コミュニケーションをすることです。そこで、「I NUOVI MOSTRI」は、広告キャンペーンではありながら、そこから製品を取り除いたわけです。言い換えれば、このアート作品自体が製品ということです。

I NUOVI MOSTRIは、イタリアに昔からあるコメディのタイトルで、ライフ・イズ・ビューティフルは中でも、最近最も有名なコメディです。この2つは、まったく別の映画で、一方はとても皮肉めいていますが、一方はもっと柔らかいアプローチですよね。若手たちのコンテンポラリーアートにも、これと似たような動きがあると思いますか?

コンテンポラリーアートが、どの方向へ向かっているかは僕には分かりませんが、アートの面白いところであり、魅力的なところは、まったく先が読めないところです。例えていうなら、多重人格でしょうか。皮肉的でもあり、優しくもある。喜劇的でありながら、悲劇的でもある。僕達が、このプロジェクトに招いたアーチストは、偶然にもこのイタリアという国を、ステレオタイプにいら立ちを感じながらもそれを認識しつつ、表現していたと思います。おそらく、彼らは自分達がイタリア人であるということをそんなに意識していた訳ではなかったと思うのですが、できあがった彼らの作品をよく見てみると、やはりなんらかの形で、自らを取り巻く環境を表現しているのが分かります。

村上隆はルイ・ヴィトンのデザインを手掛け、マイク・ケリーは、自身のレーベルを持ち、そしてここでは、若手アーチストのグループが街中をポスターで埋め尽くしたりなど、アートは今日、多くのクリエイティブな分野と密接な関係を持っています。このような動きが、アートに革命を起こすと思いますか?

優れたアートというものは、遅かれ早かれ、人々に訴えかけることができるものだと思います。ピカソやウォーホール、クーンズを考えてみてください。トルサルディ財団から実際、このような件で依頼を受けた事があります。昨年、街中で開いた初めてのイベントで、マイケル・エルムグリーンとインガー・ドラグセットが、ミラノの中心である、ガレリア・ヴィットリオ・エマニュエルで一晩限りのインスタレーションをしました。それは、本物の車が、地面からトレーラーを引きずりだすというものでした。彼らは、グローバリゼーションと遊牧生活にへのメッセージを表現したそうですが、それを実際に見た人が全員そのメッセージを読み取ってはいないでしょう。おそらく、コンテンポラリーアートとは、こういうものだと思います。解釈は何通りもあるのです。

今日のコンテンポラリーアートと、グラフィックデザインを代表とする、コマーシャルよりなメディアとの境界線についてはどう思いますか?

アートが、他の手法を吸収していく一方で、メディアや広告も、アートから様々な手法を吸収する。それがどちらから始まっているのか、ということに興味はありません。I NUOVI MOSTRIは、一般の人の関心とアーチストの作品とが触れ合える機会を試す、小さなプロジェクトです。音楽の世界で、「ストリートでの信頼性」という素晴らしい表現があります。I NUOVI MOSTRIは、コンテンポラリーアートで、そういう位置にありたいと思います。

アートを公共のものにしようというアイデアは、興味深いですが、それも、I NUOVI MOSTRIの背景にあるアイデアのひとつなのでしょうか?

どちらかというと、一種のディストリビューションのひとつだと思っています。作品を見てもらうのに、いつも美術館やギャラリーが必要なわけではない、ということです。僕達は、アートを頭の中に記憶や、ビジュアルとして持ち歩いている。そして、それを道ばたでも見つけるかもしれない。それだけのことです。

マッシミリアーノ・ジオニ
批評家。ミラノにあるニコラ・トルサルディ財団のアートディレクター、第50回ベニスビエンナーレでのキュレーションにも関わるという顔も持つ。またさらに、マニフェスタ2004のキュレーションも手掛け、2004年アテネで開かれる、DAKIS JOANNOUコレクションにおいても、キュレーションに関わる。

Text: Roberto Bagatti from Bacteria
Translation: Naoko Fukushi

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