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ヘルムート・ニュートン追悼展

HAPPENINGText: Kristy Kagari Sakai

2004年1月23日、ヘルムート・ニュートンはロサンゼルスのサンセット大通り付近のホテル、シャトー・マーモントの駐車場を出た。その次の瞬間、彼のキャディラックは急激にスピードを上げ壁に激突し、83歳の写真家の命を奪った。現在、彼の生まれ故郷であるベルリンにあるフォト・ギャラリー、カメラワークでは今、お別れの儀式としてニュートンに捧げる小さな展覧会を開催している。

ヘルムート・ニュートンは名高いと同時に悪名高くもあったが、彼の強くて大胆な写真は見る人を間違いなく動かした。ハイヒールにムチ、時には皮のサドルだけに覆われた「コールド・ウーマン(冷たい女)」を捕らえた彼のイメージはフェチシズム間際のエロティシズムに満ちていて、そのサドマゾヒスティックな性質は度々フェミニストの批判を買ったが、彼は「下品なものを愛している」と言い張りいつでも威厳を保っていた。

彼の育ちを考えればこれはそう驚く事でもないかもしれない。ニュートンはナチス進出以前のワイマール共和国のベルリン生まれ。この時代のアートワールドは方向性をなくした戦後の享楽主義で自由放任な社会を通じて、エロティシズムに大きく影響されていた。実際、ニュートンの作品のなくてはならない源から、彼のドイツ・ルーツが消える事はなかった。『僕の写真はいつも自分へのチャレンジであり、自分のドイツらしき自制を超えるチャレンジでもある。ヌードやボンデージのショットは自分の抑制を破る手段だ。』

そして21世紀のベルリンでは、賑やかなカントストラーセの裏の静かな中庭に隠されたあるギャラリーが、写真芸術に身をささげていた。5年前に成立されて以来、カメラワークは1920年代に同じ名前の雑誌を出版していたアルフレッド・スティーグリッツの心持ちを引き継ぎ、フォトグラフィーのパイオニア達に敬意を払ってきた。

アーヴィング・ペンやアンドレ・ケルテスに並ぶクラシカルな写真家とともに、リチャード・アヴェドン、ハーブ・リッツ、ランキン、そしてもちろん、ニュートン等の現代の写真家を展示し、ニュートンに関しては「アリエル」と「クラシックス」のポートフォリオを出版している。

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