旧ユダヤ人女子学校

PLACEText: Kiyohide Hayashi

2012年2月のある晩、凍てつく寒空の下にも関わらず、ベルリン中心部にあるアウグスト通りは多くの人で溢れた。彼らのお目当ては新しく誕生したギャラリー・コンプレックスのオープニングを訪れることだ。建物の前には入場を待つ人だかりができている。ベルリンでは珍しい行列だが、その理由も納得できるだろう。なぜならここではコンプレックスのオープニングだけでなく、アート・シーンにおけるミッテの復活に立ち会えるかもしれないからなのだ。

ベルリンの壁が崩壊した頃、旧東ドイツに属していたアウグスト通り周辺には多くの空き屋があったという。そこには使用可能なスペースが多数あり、好奇心溢れる人々にとっては、街の中心部に突如現れたフロンティアだったに違いない。現在このエリアはミッテ地区とよばれており、日本語では「中心」の意味を表す場所だが、1990年代に無数のギャラリーがこの新天地に殺到したため、ミッテはまさに文字通りベルリンのアート・シーンの中心となっていた。

しかし今やここをベルリンのアートの中心と呼ぶには躊躇してしまう。多くのギャラリーは家賃の上昇や再開発の影響を嫌って郊外へと移転しており、通りにはブティックやカフェといったお洒落な店が立ち並ぶ。そして道を歩くお洒落に着飾った人々は、観光ガイドを片手に、それらの店へ消えていく。そう、今となってはこのエリアはベルリンにおけるツーリズムの中心部であっても、アートの中心部ではなくなってしまったのだ。

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旧ユダヤ人女子学校 外観 Photo: Stefan Korte

今回ミッテ復活の狼煙となるのは1920年代にユダヤ人女子学校として建てられた建物。ナチスによるユダヤ人迫害が強まる1942年まで本来の役割を果たしていたという。しかしその後は、戦時中に病院として使用され、戦後は東ベルリンでの教育施設として用いられてきた。そして1996年に生徒不足を理由に閉鎖されて以来、ミッテ地区の真ん中で空き屋のままとなっていた。周りの建物は改装が進み再開発の波に飲み込まれる中、歴史に翻弄された建物はミッテの中心にありながらも、アート・シーンやツーリズムと関わりを持つことはなかったのだ。このような建物の使用方法が決まったのは最近のこと。2009年に本来の所有者であるベルリンのユダヤ人団体へと返還されたことによって、ついに長期的な使用が可能となる。こうして建物は流行のツーリズムに踊らされることなく、ギャラリーが入るコンプレックスとして、満を持してかつてのアートの中心に登場することとなった。

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旧ユダヤ人女子学校 建物内部 Photo: Stefan Korte

コンプレックスは建物の歴史を引き継ぎ「旧ユダヤ人女子学校(Ehemalige Jüdische Mädchenschule)」と名付けられた。機能主義の美を追究した建物は14室の教室や体育室などを備えており、多額を費やして改修され、3軒のギャラリーが入居することになった。建物に一歩足を踏み入れれば、古めかしい装飾に彩られた正面入り口が来訪者を迎え、建物が持つ歴史の重みを感じさせてくれるだろう。しかし感じられるのは歴史だけでなく、現代のアーティストたちが作品を通して映し出す現在でもある。5階建ての建物の中では、それぞれのギャラリーがスペースを構えており、かつて生徒たちが学び遊んだ場所には、優雅に現代の美術作品が展開されているのだ。

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