越後妻有アートトリエンナーレ 2003

HAPPENING

連休と夏休み初日が重なった7月19日土曜日。梅雨空みたいなどんよりした顔で友人の車に乗り込んだ。前日ヨーロッパから機中2泊の安チケットで戻ったばかり。それでも妻有に行けば、澄んだ空気も温泉もあるし、旅の疲れも吹き飛ぶはずだ。行楽地へ向かう渋滞も、関越道に入る頃にはスムーズに流れ始め、薄日が空から差し込んで雨の心配もない。3年前妻有での楽しい体験を思い出しながら、塩沢石打ICで高速を下りて山間の国道を私たちは妻有へ向かった。


2000年に続き2度目の開催となる「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ2003」は、越後妻有6市町村(十日町市、川西市、津南町、中里村、松代町、松之山町)全域762・を舞台に繰り広げられる、自然と人間とアートが織りなす大野外アート展だ。絵に描いたような日本のふるさと、のどかな里山の風景が広がるこの一帯は、冬には3mを越す豪雪にみまわれ、過疎化に悩む山村の集落を抱える地域でもある。ここで3年ごとにアートの祭を開催し、妻有の美しさとこの地に暮らす人々の知恵や誇りを、アートを通じて再発見しようという、まちおこし事業の一面も持っている。

今回は23か国から157人のアーティストが参加。前回の開催から残る67作品も加えると、作品数は約250。また、大小50以上の集落に作品が点在しているとあって、そのスケールは前回の比ではない。さらに、短編ビデオ・フェスティバル、コンサート、イベント、過剰なまでのアートが妻有に一気に集中する。いったいこの3日でどれだけ回れるのか、パスの内側にある250箇の作品スタンプの空欄に、ほとんどあきらめモードで一つ目のハンコを押して、まずはマウントパーク津南にある蔡國強のドラゴン現代美術館のキキ・スミス展のオープニング式典へ向かった。

前回のトリエンナーレで、中国の伝統的な登り窯を移築し『世界最小で最強の内容』を誇る美術館として誕生したドラゴン現代美術館(館長:蔡國強)。その記念すべき第一回企画展が、NY在住の彫刻家、キキ・スミスの「小休止」だ。

登り窯特有の薄暗く細長く勾配のある空間に、白い陶製の少女と薪木や雪の結晶、桜の花をかたどったオブジェが一列に配置されて、静かな表情で階段に坐る少女像の脇をゆっくりのぼると、どこか異国の島の教会に迷い込んだような空気を感じた。身体や性をめぐる衝撃的な彫刻で知られるキキ・スミスの意外な一面ともとれる作品。こんな山奥で彼女の日本初個展、しかも新作が見られるなんて、看板にいつわりなしだ。

ドラゴン現代美術館からさらにのぼった山頂の展望台からの河岸段丘の景色は壮大だ。2000年、ディレクターの北川フラム氏が、この風景を指さして、「ここに広がるパノラマがトリエンナーレの舞台です」と言っていたのを思い出す。スイスのステファン・バンツの「私たちのための庭園」は、展望台の上から景色の中にある花畑を眺める作品。しかし、目を凝らしても広がる山景の中に花畑らしきものは見えない。もしかして花畑を想像するという作品なのかなと、来ていた見知らぬ人々と首を傾げる。展望台の中には、この集落の歴史資料がそっと展示されていた。

山を下りると、韓国のキム・クーハンの「かささぎの家」の除幕式に出くわした。土、砂、火、木を基本材料とした陶製の家は、家ごとすっぽり窯で覆って約一ヶ月半かけて焼いた大作。ミニチュアな庭園の中にあってなんだかおとぎの国のようだ。中にはいると意外に涼しくて、古来の技術がもたらす快適さに関心した。制作には作家と地元の人々の共同作業であたった。キキ・スミスの人形も地元の人々とこへび隊が制作した。アーティストと地元、ボランティアの協働作業は、今回主催者が力を入れてアピールするところ。この先妻有のあちこちでそうした作品に出会った。

津南と十日町の中間にある中里村の水田の一画に現れる赤い鉄の塀に囲まれたスペースは、フィンランドの建築家、カサグランデ&リンターラによる公園だ。コールテン鋼の壁に沿って、砂利、ガラスが順に敷き詰められた回廊をぬけると、白い玉砂利を敷いた広場へとでた。頭上高く繁る大きな木々が私たちを歓迎するようで、守られている、そんな安心感のある場所だ。自然、農業、工業の3要素からなるこの細長い公園は、禅庭のような静謐さをたたえた聖域のようでいて、パワーショベルのスコップが転がっていたりと、ユーモラスな面もある。彼らはいくつかの候補地からこの場所を選び、アラスカ、プエルトリコ、フランスなど世界各地で出会った建築家たちを引き連れてやってきた。たくさんの要素がミニマムなデザインに集約されている。その何もなさ、ニュートラルさゆえに、きっと人々に長く愛される場所になるだろうと思った。

今回のトリエンナーレの目玉の一つに、街づくりの拠点として建設された3つのステージがある。前夜祭が行われた松代町の「まつだい雪国農耕文化村センター」もその一つ。水田の中に突如出現するこの白亜のステージの設計を手がけたのは、オランダの話題の建築家ユニット「MVRDV」。豪雪に耐え、さまざまな人がつながる場所という機能がデザインになった外観は美しい。周辺には3年前の作品が数多く残り、新たに草間彌生の極彩色の花の彫刻や、この地域独特のかまぼこ型倉庫に着目した小沢剛の「かまぼこ型倉庫プロジェクト」などが出現し、アートのテーマパークともいう賑やかさ。そのせいか、このモダンな建物も違和感なく水田に映える。

ステージの内部は、フランスのジャン=リュック・ヴィルムートが鏡のテーブルと写真を設置したレストランや、フランスのファブリス・イベールがデザインした囲炉裏など、作品が施設の一部として機能しているところが多くあった。しかし通路は迷路のようでわかりづらく、派手なカラーのエレベーターホールやトイレのドアのしかけなど、慣れるまでずいぶん時間のかかる建物という印象は否めない。

前夜祭には、1Fのピロティのこけらおとしとして、オランダのクリスティアン・バスティアンスによる「越後妻有版・真実のリア王」が公演された。『生きるべきか死ぬべきか…』あのシェークスピアの「リア王」を、過疎化をテーマに翻案し、妻有の老人たちが主人公として出演するという異色の現代劇だ。

開演を待ってざわめく会場の右端にいたごく普通の老人たちが、そろそろと舞台中央に移動し、そしてテーブルに御馳走をひろげ、静かに酒を酌み交わし始めた。法事の席という設定だろうか。セリフはなく、スピーカーからぽつりぽつりと、戦争や過疎の暮らしを語る老人の声が流れる。会場に吊された衣装は、妻有で手に入る着物や蓑など、さまざまな素材を使って制作したもので、それが亡霊のように時たま照らし出される。「一人だって必要でしょうか?」繰り返される問いかけ。舞台中央でえんえんと宴を続ける老人たちが哀れに思えてくる。この重苦しい後ろめたさはなんだろう?

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