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杉本博司 絶滅写真

HAPPENINGText: Alma Reyes

デジタル技術やスマートフォンの登場により、写真の本質は完全に人工的な領域へと突入し、リアリズムそのものの在り方が問われるようになった。銀塩写真の第一人者で、日本で最も多分野にわたる現代アーティストの一人である杉本博司は、伝統的な技法の価値が低下する状況に適応しつつも、その卓越したキャリアの黎明期から一貫して育んできた芸術と写真の“証拠としての性質”を、今もなお堅持し続けている。彼が受賞した顕著な賞には、ハッセルブラッド財団国際写真賞(2001年)、紫綬褒章(2010年)、フランス芸術文化勲章オフィシエ(2013年)などが挙げられる。

東京国立近代美術館では、本年9月13日まで「杉本博司 絶滅写真」展を開催している。国内の美術館では2005年(東京・森美術館で開催)以来となる写真作品で構成する個展では、1970年代後半から現在に至るまでの銀塩写真約60点が展示されている。また、同館3階ではサテライト展として、制作の秘密を明かす未公開資料「スギモトノート」が初公開され、同館所蔵の杉本作品全13点が展示されている。これらのノートには、作品に対する個人的な考察や制作過程が綴られており、職人としての杉本博司の姿を浮き彫りにしている。

「絶滅」というテーマは、主に銀塩写真が明らかに衰退しつつあることに対する杉本の見解と、アーティストとしての彼自身の取り組みに焦点を当てている。同時に、このテーマは「万物には始まりと終わりがある」という哲学を裏付けており、真に価値ある表現は銀塩写真によってのみ伝えられること、そして人類そのものもまた絶滅の脅威から免れないことを証明している。

杉本は当初、芸術家になることを志していたが、その過程で写真家として評価されるようになった。彼はまた、建築写真を撮影する傍ら、建築学も学んだ。主な設計実績には、小田原の「江之浦測候所」(2017年)、ニューヨークの茶室「今冥途」(2011年)、直島の「護王神社修復」(2002年)などがある。さらに、舞台芸術にも携わり、兵庫県での圓教寺×杉本博司「能クライマックス 翁 神 男 女 狂 鬼」(2022年)や、ニューヨークでの「杉本文楽 曾根崎心中」(2019年)の構成・演出・美術・映像を手掛けた。22歳でニューヨークに移住し、日本と米国を絶えず行き来してきた経験は、杉本に多様性に対する深い感覚をもたらした。この異文化間の流動性は、様々な創造的分野に対する受容性を育み、物体や空間の存在論的・精神的な側面に対する彼の哲学的なアプローチを研ぎ澄ませた。


杉本博司《アビシニアコロブス》1980年 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

本展は、杉本の13のシリーズごとに構成されている。第1章「時間・光・記憶」では、1970年代から80年代に着手され、杉本の評価を確立することになった〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉シリーズが紹介されている。カナダ国立美術館の常設コレクションに収蔵されている〈ジオラマ〉シリーズの《アビシニアコロブス》(1980年)は、一見すると、その光景はまるで実際のジャングルで撮影されたかのように見えるが、杉本は大判カメラと長時間露光の技法を用いて、動く被写体の動きを凍結させ、ジオラマの遠近感を平坦化させている。この手法により、演出された動物たちは超写実的なイメージへと変容し、現実と複製との境界を定義づけた。鑑賞者は、野生動物の生命力や死の近さを自覚すると同時に、その「今」という瞬間から自分たちを隔てる、幾重もの距離感にも気づかされることになる。
1974年、ニューヨークに着いたばかりの私は、ニューヨーク見学を始めた。自然史博物館にたどり着いた時、私はひとつの奇妙な発見をした。剥製の動物たちが書き割りの前に置かれて、いかにも作り物に見える、しかしそれを片目を閉じて見た瞬間、遠近感が消失して急に本物のように見えたのだ。わたしは、カメラのように世界を眺める方法を発見した。どんな虚像でも、一度写真に撮ってしまえば、実像になるのだ。』 — 杉本博司

暗く、寂しげな劇場の写真もまた、デジタル化が人々の娯楽を席巻した、ある時代の終焉を象徴している。


杉本博司《相模湾、江之浦》2025年 © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi

海の風景は、杉本の代名詞となっている。彼は1980年以来、世界の辺境の地を訪れ、空と海が交わる儚い瞬間を捉え続けてきた。このモノクロームのシリーズは、数十億年もの間存在し続けてきた風景の揺るぎない存在感をさらに際立たせ、鑑賞者を先史時代へと誘う。《相模湾、江之浦》(2025年)は、小田原市の江之浦展望台で撮影された作品で、地平線が画面のちょうど中央で海と空を二分し、二つの等しい領域を作り出している。漆黒の空は、淡い灰色の海面と穏やかな波紋と強烈な対比を成している。両脇に広がる黒い影のコントラストが、静謐な海を威厳をもって際立たせている。水と空気という太古の要素を除き、船や鳥、その他の要素は、この瞑想的なパノラマを一切乱すことはない。

杉本は次のように振り返る。『水と空気、このあまりにも当たり前のように在るために、ほとんど注意を引くことのない存在が、私達の存在を保証している。この世の始まりは「水と空気が与えられたとせよ」という神話から始まったのだ。生命現象は、水と空気、それに光も加わって発生した。どうしてそのようなことになったのか、については偶然という神が存在した、とでも言っておくしかない。太陽系の中で、水と空気が保たれている惑星があって、おまけに太陽から適度の距離にあって、たまたま温度が生命発生の条件に適していた。そんな惑星なら、この広い宇宙の中にもう一つぐらいあってもよさそうなものだが、見渡すかぎり、似たような惑星はひとつとして見つけることはできない。このありがたくて不思議な水と空気は、海となって私達の前にある。私は海を見る度に、先祖返りをするような心の安らぎを覚える。そして、私は海を見る旅に、出た。

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