津田道子

PEOPLEText: Ayumi Yakura

振付家・ダンサーの神村恵さんとの修行ユニット「乳歯」でパフォーマンスを行っていらっしゃいますが、何の為の“修行”を行っているのですか?

「見えないものを見る修行」や「映画の中に入る修行」など、修行が向かうものは変わります。ユニット名が「乳歯」というのですが、お互いに異なる分野で活動していることもあって、専門性の高いことをするのではなく、乳歯が抜ける前のころの目線で、入門者として物事に素朴に正直に取り組もうというところがあります。

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「知らせ」Performance, 2016, Still cut from video material © 乳歯

修行は、取り組む内容とそこから得られるものが、直接は結びつかないことも特徴だと思っています。取り組む姿をパフォーマンスとして見せるものというと“実験”的パフォーマンスと言われることがありますが、結果が成功なのか失敗なのか検証して、考察するところも含めて実験だとすると、パフォーマンスで見せているのは“修行”と呼ぶのがふさわしいと考えて、修行ユニットと言っています。


「知らせ #2」Performance, 2017 © 乳歯

パフォーマーとは企画・制作段階から共同作業をされているのでしょうか?

今のところ、パフォーマーと企画者に分けないで、二人で制作・出演しています。2016年3月に森下スタジオで「知らせ」という公演をしたのですが、そのときは、神村さんが、舞台を成立させることをテーマにしようとしていて、『制作過程で一緒に考えたり、構想したりしないか』というお誘いから共同作業が始まりました。

神村さんの作品に元から関心があったので、制作に付き合ってみたいと思って進めているうちに、出演することになりました。それからも何度か発表の機会をいただいて続けています。今年の2月に発表した「知らせ #2」では、山形育弘さんに出演してもらって、そのときも制作段階から作品に関わる人がいいと思って依頼しました。

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“KHIRKEE”, Performance, 2015, Still cut from video material © Michiko Tsuda

2015年にインドの「国際交流基金ニューデリー」で行われたパフォーマンス「KHIRKEE」とはどのような内容だったのですか?現地の反響はいかがでしたか?

パフォーマンスは、プロジェクションの中で、パフォーマーに鏡を持って半分振付して半分即興のようにして踊ってもらうというものでした。現地でパフォーマンスをすることになってから、街の中がスタジオになるような、地理的特徴を取り込んだことをしたいなと考えて、いくつかローカルな場所を教えてもらい、その中に「Khirkee Masjid」(ケルキ・マスジッド)と呼ばれている場所がありました。「KHIRKEE」は「窓」という意味だそうです。

デリーの外れの方で、廃墟になっている遺跡だったところと、そこから少し遠くに人が住むアパートが見えて、現代の暮らしと廃墟が両方見える、コントラストがすごく魅力的な場所だと思っていたら、廃墟とアパートの間に円形劇場を見つけました。そこで、デリーのダンサーに参加してもらって、鏡を持って踊ってもらいました。ちょうど、廃墟をバックにすると鏡にアパートが映ったり、逆にアパートを背景にすると廃墟が鏡に映り込んだりする様子を記録して、15分くらいの映像をつくりました。


“KHIRKEE”, Performance, 2015, Documentation Movie at Kyoto Casual by Zasha Colah © Michiko Tsuda

それをパフォーマンス会場の舞台の奥にプロジェクションして、そこで同じダンサーに同じ鏡を持って、パフォーマンスをしてもらいました。映像がスコアのようになって、映像の中で鏡を動かしたり、回転させたりしているのとパフォーマンスが同期する時もあれば、対話するような時もあって、彼女自身や鏡の裏側がスクリーンになったり、鏡側を正面に向けると、会場の中に反射したり、シンプルな現象で、見ているものがどういうイメージなのか分からなくなるような瞬間が生まれました。

事前にかなり演出もしたのですが、勘のいいダンサーだった事もあって、偶然起こる事も即興で取り込めて、イベントは盛況でした。『こういうものは見たことがない』という反応が嬉しかったです。

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