「トランスクール・トーキョー」展

HAPPENINGText: Rachel Alexis Xu

捕らえ所の無いアートの意味と目的は今まで(燃えさかる様に)語られ実ってきた。そんな果てしない沢山の言葉に埋もれながらも、「トランスクール・トーキョー」展は歓迎すべき休息の場所と言えるだろう。もし今日の、そして過去のアートに対する不安な問題が、メッセージ性のある教育的振る舞いにあるとしたら、この展示はそんな非難に対して勇敢に立ち上がり、その気取らなさとシンプルさで新鮮な風を吹き込むものとなっている。

トランスクール・トーキョー展

この展覧会は日本の現代美術の先駆けとなるアーティスト達の作品が見られる貴重な機会となった。作品を展示するだけでは無く、熟考したシンプルさに覆い隠されたアイディアを煮えたぎらせている。現代美術の展覧会を開いて物事を単純にするのは難しい。しかしトランスクール・トーキョー展の功名なところは、展示の起点として絶えず視点を強調した事にある。

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視点を強調する事は、不意にアーティストの世界観に繋がり、そしてそれは明確に彼/彼女達の作品に表れている。展示された作品はそれぞれの世界観を表す。名和晃平の「PixCell-Deer」は、水晶玉により歪み、拡大された剥製の鹿を使ってヴァーチャルと現実の世界をまたぐ。エマニュエル・ギラードの写真によるインスタレーションは、砂っぽくじめじめとした普段あまり目の当たりにしない東京の通路を表している。一つの物の見方が真実だとは誰も言う事ができないが、その代わりにこの展示では複数の視点が一カ所に集っている。同意するか拒絶するかは、展示に訪れた者の発見となるだろう。

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