アキッレ・フーニ回顧展 1890-1972
『形がなければ命はない』。これは、アキッレ・フーニが彼の絵画の中で、オブジェクトの綿密な定義、色の線の優位性、物事の静かな証言として自分自身を表現するボリュームの堅実な具体性を要約する方法であり、彼の芸術的発展の過程で、伝統的なものと新しいものの間の継続的な比較を形成するものだ。
Achille Funi, Figura cromatica, 1914
ヴィルジーリオ・ソクラテス・フーニという本名をもつ彼は(神話は歴史より信憑性があるという理由で)、神話学的で詩的な名前を選び、アキッレと名乗った。画家である彼は、1890年にフェラーラで生まれ、コモの近くのアッピアーノ・ジェンティーレで1972年にこの世を去っている。現在、エレナ・ポンティッジャとニコレッタ・コロンボの主催によって、ミラノにあるスパッツィオ・オーバーダンでアキッレの回顧展が開催されている。
展覧会の開催までには、精密な調査が行われた。「アーティストとミラノ」というサブタイトルがついているこの展覧会。ジュスティツィア宮殿(正義の宮殿)、ローマ銀行、テアトロ・マンゾーニ(劇場)など多くの公共の建物の装飾や、サン・タンジェロ・フラティ・ミノーリ教会や、サン・ジョルジョ・アル・パラッツォ教会などの記念碑的なフレスコ画とモザイク画を探究するこの展覧会は、アキッレと街の関係に視点をおいている。
Achille Funi, Marinetti, lussuria, velocita (Marinetti, lust and speed), 1913-14. Photo Vasari, Rome
彼がミラノに住居を構えたのは1906年のこと。その時の彼と街との関係は緊密なもので、ブレラ国立美術学院との繋がりによって更に緊密になっていく。最初はここの生徒だったアキッレ。1939年には、教鞭をとるようになり(モルロッティ、カバリエール、アダミを含む多数の生徒を教えた)最終的には、校長にまで昇進した。ファシスト政権下で享受した幸運に圧迫されながらも、この仕事を楽しんだアキール。長く続いた無名時代を経て、彼は今再発見されたのだ。
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