山戸結希

PEOPLEText: Eri Yamauchi

処女作「あの娘が海辺で踊ってる」が東京学生映画祭で審査員特別賞を受賞し、東京のミニシアターにおける1週間の期間限定上映は連日定員オーバーの大盛況を記録。「次世代のファンタジスタ」と呼ばれる山戸結希監督は、その後に制作した短編映画や中編映画も数々のアワードで高い評価を得るなど、今後の活躍が大いに期待される若手映画監督だ。

山戸監督の作品は光で溢れている。誰もが抱き、そして少しずつ忘れていく青春時代の向こう見ずで無垢な生命の輝きが乱反射している。「今」「ここ」「学校」「地元」が全てだった時代を抜け出し、「愛」や「夢」に戸惑いながらも自分は特別な存在なのだと信じて走り始める少女達。彼女らをつくる重要なファクターとして、哲学や文学、バレエなどのハイカルチャーからアイドルやロックバンドなどのサブカルチャーもスクリーンに散りばめられている。正に「今、生きている若者」を鮮烈に描いた作品は若者を中心に熱狂的な支持を集めている。

3月8日に渋谷のシネマライズにて注目の最新作「5つ数えれば君の夢」が公開となった山戸結希監督に、自身の青春時代や映画製作における哲学、今後の目標などを伺った。

山戸結希

まずは監督自身についていくつか質問をさせてください。哲学者を志し、大学時代に哲学を勉強していたが、言葉だけでは表現しきれないものがあることを感じて映画を撮り始めそうですね。このような独特な道を辿って映画に行きついたと伺いましたが、そもそも哲学者を目指した理由は何だったのでしょうか?

中学校くらいから読書がすごく好きでした。純文学も読んでいたのですが、文学の問題だけに終わらず、「どう生きるべきか」という哲学的な問題を含むものが好きなのだな、とある時点で気付きました。そこから、自分がやりたいのは哲学なのだなと自然と繋がっていきました。哲学的な問題を含んでいる作品の方が、今でも印象に残っていますし、そういう本をなんとなく選び取っていた気がしますね。これは今映画を撮る際の問題意識にも影響を及ぼしているのですが、映画も観てくれる人の人生にコミットするものでないと意味がないと思っています。

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「あの娘が海辺で踊ってる」 © 上智映画研究会 2012

作品の主人公は中学生・高校生が多いですが、監督自身はどういう青春時代を過ごされていたのでしょうか?処女作の「あの娘が海辺で踊ってる」の主人公・舞子の強烈なキャラクターが印象的だったのですが、同じような鬱屈を抱えていたのですか?

実は、私自身は、そうでもありませんでした。舞子については、実際に舞子のような友人がいて、無意識にその子をモデルにしていたのだなあと、作った後に気付きました。それが事実だと仮定すると、私は「ホトケの菅原」のような存在でしたね。舞子のような勝気な美人というのは、田舎ですごく浮く存在でしたが、そういう子の方が面白いなぁと思って横で見ていました。

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「おとぎ話みたい」 © 2013 寝具劇団/MOOSIC LAB

では、作品についていくつか質問をさせてください。まずは「おとぎ話みたい」について。「おとぎ話」というバンドの世界観が先にある中で、どう物語を作っていったのでしょう?また本作を撮るにあたり、発見したことや苦労したことなどあればお聞かせください。

「おとぎ話」さんが好きで、彼らの音楽に満ちた映画を撮りたいという希望がありました。彼らの発している音楽が鳴らしているものには、むしろ物語の中でしかコミットすることはできないだろうとすら思っていました。
今回は「MOOSIC LAB」という企画の中で、私がおとぎ話さんを撮りたいと希望して実現しました。企画ものであるという経緯は処女作と違いますが、私にとって直井さんはすごく自由に任せて下さる方で、あまり外部的な制約はなく、自分が取り入れたい要素を入れられました。
また本作では、カメラを自分以外の方に任せたことは大きかったですね。他の人の美意識をどう受け入れるかということを考えていました。

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「映画バンもん!~あなたの瞬きはパヒパヒの彼方へ~」 © 2012 WARNER MUSIC JAPAN

本作ではライブの映像と高校を舞台にした物語という別々の映像が交互に流れ、最初は少し違和感がある気がしました。しかし物語が進むにつれ、2つの映像が物語の上でも音楽の上でもどんどん繋がっていき、一体になっていく様子が面白かったです。

2つの映像を使ったのは作品に「外部性、異物感」を入れたいという気持ちが大きかったからです。言葉だけの世界では起こらない、予期しないことが起こるのが映画の面白い所で、そういった外部性や異物感を急進的に受け入れていきたいなと思っていました。
「おとぎ話みたい」で他の方にカメラを任せたのも、他者性が欲しかったんですね。また「おとぎ話みたい」のクライマックスシーンには、もし従来の映画だったら、ある種壮大なものが似合っていたのかもしれませんが、それを意図して選びませんでした。またバンドについても、より違和感のない、今回の物語が直接的に想起する音楽をやるバンドはあったかもしれないですが、絶対におとぎ話さんを選びたかったです。それは大好きであるという気持ち以上に、異物感、つまり他者の重要性を無視しては本当には作れないと考えているからです。

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「Her Res~出会いめぐる三分間の諮問3本立て」 © 2012 寝具劇団

監督の作品では夕暮れや夜の長回しのシーンが印象的で、その分明るいシーンとの差も強烈でした。暗いシーンが多いのは何か理由がありますか?

特に初期は、どうしても物理的にそうなってしまうという部分があると同時に、暗い場面に、すごく惹かれる何かがあります。光は作れるのに、影は逆説的にしか作られないという部分でしょうか。

先ほど言っていた外部性や異物感にも通じますね。俳優の演技に関してもやはり意外性を求めていますか?演技指導などはどの程度やるのでしょうか?

作品ごと、というより、主演に誰を迎えるかによって、どんどん変わっていますね。ただ、目の前の人に尽くすことだけを考えていました。

「あの娘~」は、テレビなどで観る整理された映像とは違って、面白いアングルで撮ったシーンやブレが多く、他の映画よりもリアリティがあると感じました。

今スクリーンで見返すと、すごい変な角度で撮っていて、あの時の自分はいったい何を考えていたのだと思います(笑)。足湯のシーンの撮影ではおばちゃんにすごく怒られたり、それが画面に入ってたり(笑)。とにかく撮るしかなくて、現場では思考停止状態になってました。でもなぜか、観てくれた方の感想では好評で、不思議ですね。

最近は雑誌に文章を寄稿したりポエトリーリーディングをしたり、文章の面でも表現活動をされているようですね。改めて、映画と文章の違いはなのだと思いますか?また、その表現活動の広がりは映画に影響していきそうですか?

映画と文章の違いは、一番は主語の違いですね。文章だと主語を請負うのは必然的に書いている一人の作家ですが、やはり映画は自分以外の肉体に一人称を仮託するという感覚が一番面白いですね。映画という表現の持っている多重性に惹かれます。

ちょっと話題がずれるかもしれませんが、最近は、演劇畑などのほかのメディアで活躍していた人が小説を書いたりすることが多いですが、そういう人たちが人称の問題にすごくこだわることに共感しますね。小説の外の表現ジャンルから言葉の世界に回帰する人は、言葉においても、人称によって世界を拡張したいという願望があるのだと思います。
映画を撮る前と今の文章で違うのは、文章の中で完結するのではなく、外に繋がっていく、「接続する先」を見つけて行ける文章を書きたいと思っているところでしょうか。

「接続する先」の話につながるのですが、東京での「あの娘~」の上映会ではステージの横から俳優さんを登場させ、演劇もやりました。大学生の時は映画も好きでよく観に行っていましたが、終わった後に生身の出演者が「出演させていただいた○○です」みたいな普通の挨拶をするのはつまらないなと感じていかもしれません。たとえば終演後の挨拶でも役者に用意していた台詞を言ってもらったり、物語を拡張させるような要素を用意してスクリーンの中と外を世界をパラレルにさせた方が面白いし、そうしたいなと思っていましたね。

監督の作品の主人公は少女が多いですが、今後も少女を撮り続けるのですか?

少女は要請がある限り撮り続けると思いますが、少女しか撮りたくないという感じでもなく、男の人を主人公に撮りたいなあとも思います。
例えば少女漫画の世界では、ずっと少女漫画を描き続ける人もいれば、そこでの仕事を終えて年齢層が上のレディースコミックに移る人もいますし、男性誌に移る人もいますよね。行く先がどちらになるかは分からないのですが、初期はしっかりと「少女」を濃く描き切りたいなと思います。そのうち、レディコミや男性誌の気分になるかもしれません。

監督にとって映画とは?

今、目の前にあるものが映画、という感じです。小さいころは漫画家や出版業に憧れたり、大学生では哲学者を目指したりしてきましたが、結果としては、今別の世界にいますね。でも映画は一過性という感じがしなくて、映画がだめだったら他のことをしよう、他のアウトプットにしようという感覚になったことはないです。今ここ、目の前にあるものが最後の壁という感じがしています。

それは、映画という形式が自分に一番合っているということですか?

映画とは何たるかという内実が、自分の中ではっきりしていれば、「合っている」という言葉が使えるのですが… ただ唯一言えることは、映画は映画という形式を壊すことが許されているメディアだと思います。例えばホームビデオに好きなものを撮っただけでも、それを「映画」と指差してくれる人がいる限り「映画」だと思います。スクリーンがあってお客さんがいて初めて、そしてその限りは、何があっても映画で、何をやってもいいと思うのです。その状況が成立しなくなった時は映画をやめてしまうと思うのですが、世界の中では何を映してもいいと思っているので、何でもやってしまえば、全ては映画だと考えれば、これから映画以外のメディアに行くことはまだ想像ができないですね。

今後扱いたいテーマや目標などがあれば教えてください。

個別的なモチーフを何にするとしても、哲学的な問題、文学的な問題は取り入れていきたいですね。美しいだけの映画にはしたくなくて。哲学・文学の問題は自分が生きていく中で絶えずに接続していくものだから、どう生きるべきかという問題に接続するもの―例えば、地球の裏側に住んでいるブラジル人の男性が主人公でも、ちゃんと現在の人生に接続するものを撮っていきたいですね。

今後の目標についてですが、今、私の映画を観てくれているお客さんは、すごくアンテナの高い方たちだと思います。カルチャーに興味がある若い方や上の世代のシネフィルの方などに一番多く観ていただいているのですが、地方に行くと、映画を観るにはシネコンかレンタルビデオ屋で借りるかだと思うのですが、そういった場所で上映される映画を作りたいです。やっぱり「少年少女」達に観てもらいたくて、それも田舎まで。自分を振り返ってみると、少女期に観たものがその後の人生に大きく影響していて、私もそういった時期の感性に対して問題提起していけるようになりたいですね。そこに触れるようになるまで、そこに行くまで、映画を撮り続けたいです。

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「5つ数えれば君の夢」 © 2014 『5つ数えれば君の夢』製作委員会

最後に、新作「5つ数えれば君の夢」について質問をさせてください。
今回は東京女子流という人気アイドルグループの5人を主人公にしての物語となりましたが、なぜ彼女たちを主人公にしたのでしょうか?また、作品の見どころなどを教えてください。

今回の映画の企画を担当されている、ストーリー・ライター針谷さんとスポッテッド・プロダクションズ直井さんが、彼女達を主演に映画を作りませんか、というお話を下さいました。
見所は、東京女子流の5人、だれが主役とは言えないくらい、みんなが素晴らしい魅力を発揮してくれているところだと思います。ぜひ、5人の素敵な姿を発見して頂けるのが楽しみです。
でも本当には、観て下さった方が良いなと思って下さったシーンがその全てだと思っています。心の中で何が起きているのか、あなた自身に突き止めて頂けたら嬉しいです。

5つ数えれば君の夢
公開日:2014年3月8日シネマライズほか全国順次公開
配給:SPOTTED PRODUCTIONS
http://5yume.jp

Text: Eri Yamauchi
Photos: © SPOTTED PRODUCTIONS

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